2003-09-01から1ヶ月間の記事一覧

さらに失う

余計なことかも知れないが、ニューヨーク・タイムズのサイード追悼記事の最初の版と現在webにのっかっているのを何の気なしに見比べていたら、いくつか異同があることに気付いた。最初の版にあった、彼が「ユダヤ防衛同盟」のテロ対象リストに上げられていた…

E・サイード死去にあたって

以下は一昨日ニューヨーク・タイムズに掲載されたリチャード・バーンスタインによる追悼記事の世界最速弊研究所超訳である。かなりの長文になるが、9・11以降アメリカ内で彼の置かれた位置と、リベラルな立場からの彼の評価との現在の微妙な関係が読み取れる…

夜鳥

寒い。午前中、時折利用する近所の藪医者に赴く。この医者では、私が各種の薬を指定しなければならないのである。自分で治療しているようなものである。「今日はムコダインとPL顆粒でいいと思いますが」「あっソー」「3日分ほどいただけますか」「あっソー」…

似非剣ふたたび

綾瀬の東京武道館まで赴く。全日本剣道連盟居合道部会東京支部昇段試験会場、である。ぷはー。例によって時代錯誤の空気が漂い、傑作千万である。階段の踊り場に刀屋が店を開いており、なんか職人尽し絵の情景。目についた江戸期の無銘の新刀を一振、抜き払…

震災の記憶

数日来、地震の噂しきり。「予知」という疑似科学と科学の境界線上に発生する、噂の遠近法についてしばし考える。先日文化資源学会によって開催された関東大震災八十周年シンポジウムを参観したばかりだったので、思考の方向はより具体的な数値問題に傾いて…

記憶との再会

夕刻、駆け込んだファミレスで、一人淡々と食事する小学四年生ぐらいの少年に出会う。毅然とした態度で、背筋を伸ばし、ゆっくりナイフとフォークを使っている。物悲しい。その風情から、もはやそれが毎度のことであると窺える。郊外の住宅地の夕刻であるか…