賢人とわたし(覚書)

誤解とか勘違いとか、そのようなものから生まれたなにか余滴のようなものが妙に芽吹いて、なかなか自分の内部でも大きな存在感を俄然発揮しつつあるのが可笑しい。読書会なるものに参加しているのだが、そもそもこの読書会が誤解から発生しているわけである。もちろん誤解を喚起した自分が悪いわけなんだが。
誤解の元は、私にとっての明治三賢人、という、ふとした雑談ネタである。御承知のようにこの「三人くくり」という手法は非常に俗耳に入りやすくまたまた飲み屋のネタにもよろしく、西洋三大哲学者は誰ぞとか江戸三大戯作者は誰ぞとか私にとってのウルトラ三大怪獣とか、とにかく際限がない。たまたま三賢人として西周津田真道中江兆民という人名を私が挙げ、さらに裏三賢人として成島柳北福地桜痴内田魯庵という名前を挙げたのを《哲学の劇場》主宰吉田氏が聞きつけ、以て私が賢人たちと夜毎杯を酌み交わしているかのような大誤解を発し(以前より何かとこのような誤解気味なのである)、なんだか私がその筋の専門家であるかのような一人合点の即断即決、気付けばもう「明治賢人研究会」などという看板を墨痕淋漓と書いているのであった(イラストレーターで)。で、彼が幹事、私が会長だという。

途方に暮れるとはこのことで、先ず以ての疑問は、いま私の考えるような明治の賢人たち、その彼らの残した言の葉に耳を傾けるような悠長な輩が果たしていまどき如何ほど存在するのか? ということであった。
この件に関しては吉田氏は明快で、そりゃ読んでみなけりゃ面白いかどうかわかりません、と反論の余地がない。とりあえず自分が興味があってこの看板書いてるんですからほっといてください、というわけである。ならば2名でスタートか、というのが本年の盛夏。

3ヶ月が経過し、現在は幹事が肝煎となって若い俊秀が群がるように集結している(総勢10名)。むろん私にとっては信じられないような頭数で、もちろん幹事の人徳に尽きるのだが、いまだに不可思議な思いに駆られる。参加されている若い人々にとって、明治という時代はどの様な実感を以てそれぞれの内部に構成されているのか、今後機会あれば各人じっくり問い質してみたくもある。実際、この究極の生産性の低さを有する読書会に参加する志を維持するのは難儀なことだと、私だって思うのだが。
ただし、私にとっては究極の生産性の高さ、を有するのがズルイところである。10人の頭脳で、かねてから懸案であった問題を再検討できるのであるから。提出される様々な疑問によって自分の読みの薄さが炙り出されるのはなかなか快感である。参加者のおひとりである山本氏も書いておられるが、今回音読という手法を用いて、まず小学生のように順番に読み上げてもらう素朴な方法をとっている。これまた耳から喚起される新たなモノを見つめることになった。黙読という習慣の発生は、文字の独占が崩れることと連関があるだろうが、「調子」というものがリテラルな世界から剥がれ落ちていったプロセスもまた、明治という時代において検討せねばならぬ一件である。いやともかく、音声から見えてくるもの大、なのだ。

その参加者の声を聞きながら、暫し賢人たちの時代に意識は遊ぶ。
そもそも研究会開始前、「賢人」というタームを挙げて吉田氏と明治雑談をつらつら行ったのは、この時代が賢人を必要とする時代だった、という認識からであった。ごく簡単な話で、全てのシステムが建設途上であるから、個人のパフォーマンスに頼らざるを得ないのである。近世は緻密な統治システムと文化の網のなかで成立していたが、個人の力の突出を畏れる社会でもあった。その抑圧は「藩」というごく低い天井しか持ち得なかった社会の構造的なもので、賢人の総量は近世も近代も変わりはしないだろうが、明治に至ると賢人どもは「日本国」という高い天井までジャンプ出来るようになるのである。それゆえ他者との差異も明確に現れる。ジャンプの高さを誇る時代が到来し、高ければ高いほどエラいと賞されるようになり、現在我々が唖然としながら眺めるような珍妙な事歴を残す賢人たちが誕生するのである。まるで揶揄しているように見えるかも知れないが、この時代の偉人のほとんどが現在から見るとタガのはずれたようなエピソードを多く残しているのは、高さを誇る人間力が全開だからである。様々な社会的構造を支えるのは組織ではなく、そこにある人間力だけ。

現在我々は賢人も愚人も必要ない社会に暮らしている。賢人たちが右往左往して強固なシステムを作り上げ、戦争やら地震やら何やらかんやら、壊したり直したりやったりやられたり、何のことはない結局近世のような抑圧の強い社会に暮らしている。なんだかんだ言って、私たちはその方が楽なのだ。しかしながら賢人たちの時代に強い郷愁を勝手に感じる(私だけか)のは、その人間力だけで皆が世を渡っていた時代、そして個人が最大のメディアであった時代が、なんとも闊達で自由度が高く見えるからである。念のため言うならば、このような立場は、もとより明治国家礼賛には全く縁がない。個人芸の時代を、冷静に観察するのみである。

現在は魯庵のテキストを与太を飛ばしながら読んでいる最中だが、この予備運動が終われば、他の諸賢人のより錯綜したテキストに向かおうと考えている。江戸と明治の潮目が個人の中に浮き出るのが私の愛する賢人たちの要件である。むろんその要素が明示的であるとは限らないが、そういうものを見つける楽しみ、といった個人的観点を忍ばせて諸賢の読解を拝聴する、というのがまた愉しそうだ。さらにもう一つ採り上げてみたいのは、風土の問題である。人を生む風土、土地の気風のようなもの、例えば津山藩における洋学の興隆が生む伝統──津田真道などに見る──といったようなものが浮き上がってくるような読解。そのあたりが今後愉しみである。マジメすぎるか。まあ不真面目に成島柳北を読むなんてやったらそりゃもう一流の芸ですから。