ふと開始の記

インターネット上での、ごくかぼそい繋がりしかないある知人の日記を、最近ぽつぽつ読んでいる。

「最初から公開されている日記」というのは、90年代に成立した最新の表現形態ではなかろうか。その価値判断はひとまず措くとして、すでに厖大な、一種中途半端な自己表現がこの世に流通しているのだから、これらは何らかの社会的意味を持たざるを得ないだろう。

知人の日記を読んでいると、なんだかその人の人生を監視している気分になる。しかし、書く方は演技的身振りを十全にわきまえているのだから、とくに後ろめたくはない。意識するしないにかかわらず、結局、ゆるいエンターテイメントなのである。しかしそのゆるいエンターテイメント性を十全にわきまえている日記などは、ブツとしてはグレードが相当高いわけだろう。

で、そこに参加してみる。実験みたいなものだ。わけあって「書くことの現場」の極北のような地点で日々を送っているのだから、これもまた経験。