Keith

青山方面に出かけていた同僚から、そのあたりで開催されている「ストリート・ミュージアム展」の情報を仕入れる。外苑前駅からワタリウム美術館までの青山通りキラー通りの商業施設等に、ニキ・ド・サンファルキース・ヘリングなんかの作品が展示されているらしい。スターバックス無印良品に、現代美術の作品が置いてあるのである。同僚の話によると、交番にデヴィッド・ホックニーの作品が置いてあったとのことだが、ホントかな。

キース・ヘリングといえば、まだそんなに名が売れていない頃、彼を見かけたことがある。私が学生の頃の話だから、大昔だ。当時彼はPOPなイラストレーターという存在で、新し物好きな連中に評判が良く、そこそこ商業的な成功を収めつつあった時期だった、はずだ。

青山に出かけて用事を済ませて、駅に向かう途中だったように思う。キラー通りに当時はまだちらほら残っていた日本家屋のモルタル塗りの壁に、一心にペンキを塗っている男がいた。建築用の脚立を構え、ジーパンとTシャツはペンキだらけで、回りのことは一切眼中にないというムードである。口をぽかんと開け、短く刈り込んだ髪に丸いセルフレームの眼鏡をかけた童顔のその男は、どう見てもカンザスシティーから来たハイスクール・スチューデントといった風情で、その異様な熱中ぶりがなんとも子どもっぽく、何をしているのかちょっと気になったのだった。

離れた場所でしばらく見ていたが、壁を塗り終えた彼が、かがみ込んで自分の手元に何かを描き始めたので、しかたなく近寄った。彼は太い筆で、四つんばいの人間らしき物を描こうとしていたようだが、そのあたりで私は、この男がキース・ヘリングらしいということに気がついたのである。

人物を一人描き終えると、初めて彼はほっとしたようで、それを眺めて一息ついた。と同時に私の存在に気付き、私の方を見て、ニッと笑った。君はひょっとするとキース・へリングかい、と言うと、そうだよ、僕のこと知ってるの? そりゃグレートだ、僕も捨てたもんじゃないな、と彼は言った。それから彼は、向かいにある「オン・サンデーズ」というアートショップの招きで来日したこと、この家はもうすぐ壊すらしいので、勝手に描いてもいいと許してもらったことなどを、相手が誰であるかなど考えもしないようで、子どものような無邪気さで熱心に喋った。

では、今後も良き作品を制作されん事を願う、と私は言い、握手した。彼は私の前に人差し指を立て、ちょっと待ってと言うと、ポケットをごそごそ探った。こいつをどうぞ、と渡してくれたのは、彼がいつも描くキャラクターを使ったバッジだった。じゃあ、と手を振って脚立を上がり、絵を描き始めると、もう周囲のことは何も目に入らなくなったようだった。

彼がエイズでこの世を去って、もう何年経ったのか、よくは知らない。いまでは彼のドローイングなどはイラストどころではなく、ウォーホールなどと並び立つアメリカ現代美術の代表作とされているのは、知っている。あの壁面のいたずら描きも、残っていれば相当な価値だろう。彼の一種の夭折も、その作品を神話化する作用を持ったに違いないが、夭折も、現代美術も、彼には全く似つかわしくないものだと、私には思える。あの安っぽいブリキバッジの味わいが、彼の生み出すものには、真の意味でふさわしいものだった。少年のような彼の表情を思い出すと、いまでは美術の神殿に入ってしまったその存在に、まことに勝手な寂しさを感じるのだ。

彼にもらったバッジは、大事にしていたのだが、引っ越しを重ねるうちにどこかへ行ってしまった。それはそれで、そういった運命なのである。

キース・ヘリング|ぼくが信じるアート。ぼくが生きたライフ。 / Keith Haring | It is art as I know it . It is life as I know it.

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