俘虜記

体が緩やかに前後左右に揺さぶられている。ここはどこだろう。私は何をしているのだろうか。眠っていたようだ。

そうだ、私は敵陣に向かい、たった一人で突撃を敢行したのだった。とすれば、名誉の戦死を遂げたわけで、天国に来ているはずである。とすればここは天国か。

──にしては、妙に辺りが騒がしい。おまけに煙草臭い。
薄目を開けて周囲を窺うと、沈鬱な表情の男たちが並んで座っている。揺れている。
どうも私はまだ生きている、らしい。靄のかかった意識のまま、周囲を凝視する。これは列車の中ではないか。そうか。私は死にきれず、捕虜になってしまったようだ。無念である。どこかの捕虜収容所に護送されるのだろう。

隣席に、見たような顔の男が座っている。誰だったか。
「もうそろそろ京都ですよ。寝ちゃえばすぐっスよね、ある意味」
馴れ馴れしいその声は、N印刷の営業アベではないか。こいつ、いつから我が軍の兵士となったのだ。いや違う、その手に握られた拳銃は、しっかりと私の方に向けられている。アベの野郎、やはり敵のスパイだったか。そんなことはとっくにお見通しだったのだ。だから重要な情報は一切こいつには漏らしていないのだ。
「どこまで連れて行くつもりだ」
「何言ってんスかー、うちの京都工場に直行直帰の出張校正じゃないスかー、ある意味変な話」
こいつ、頭おかしいのか。何を言っているのかさっぱり分からない。まあ、要するに強制労働につかせるという事なのだろう。

駅に着くと、アベに促され、小さな列車に乗り換える。素早く周囲を窺うが、脱走する隙はない。ここはおとなしくしていた方がよさそうだ。
2駅目、向日町という駅で降りる。降りたのは、アベと私のみだ。沢山いた一様に沈鬱な表情の男たちは、どこへ送られるのだろう。

収容所に着くと、灰色の制服を着けた監視兵たちが現れた。監獄らしき場所に連れて行かれ、大きな机の上に様々な印刷物が並べられているのが目に入った。ドアを背にして、アベと監視兵の一人が立ちはだかって、机の上を指さす。
「お前達、こんな量を1日で見ろというのか。完全にジュネーブ条約違反だぞ。捕虜虐待だ。収容所長に面会を要求する」
「んなこと言わないでお願いしますよー、納期キツキツなんすからー、ある意味」
静かに銃口が私の方に向けられる。何を言っても無駄のようだ。
意識が遠のき、思わず手近の椅子にへたり込む。熱があるのか。
奴らが笑っている。きっと脱出してやる。