ドキュメント

武蔵野人文資源研究所の設立一週間記念特別研究会を、客員研究員でTheatre of Philosophy主宰者である吉田浩氏を迎えて開催する。会場となった深大寺温泉「ゆかり」付属国際会議場では、子どもの泣き声や風呂上がりのオッサンの罵声の間隙を縫って、真剣な討論が繰り広げられた。

まず吉田客員研究員より、「心脳論のパースペクティヴ──英米圏科学/疑似科学を超えて」と題して基調発表がなされた。脳と心をめぐる問題を検討する場が英米圏、なかんずく米国のプラグマティックな脳研究に壟断されている現状をトピカルな事例を上げて検証し、それらの結果を批判的に摂取しつつも、ベルクソンを援用して問題を逆照射することによって、ドゥルーズの思考へと脱出する隘路=突破口を見出そうという果敢な意気込み─透視図が示された。

討議へ移行後、会場を埋めた老若男女・善男善女からは、「あたまのよくなるくすりはできますか」「ボケないですっぱり死に至るには」等様々な質問が寄せられ、活発な論議が繰り広げられた。予定時間を大幅に超えた討議の後、紛糾する会場を脱出した所長以下3名は、場所を深大寺蕎麦・河内屋へ移し、討論を続行した。議事進行に関し、入浴後に研究発表を行うという進行に抜本的な誤りがあるのではないかという意見が出されたが、「研究会の趣旨とは関連のない発言。弁士中止」と叫ぶ所長の暴力的な議事進行により、最終的にはまあ穏便にという反応が大勢を占めた。

討論においては、やはりベルクソンをどう読むかがキーポイントであるという意見が多く出された。日本におけるベルクソン受容をその始源から検証し直す要ありという意見や、ユマニスム的思考の速度では科学─帝国たる英米脳研究を凌駕する結論は得られないのではないか、という否定的意見が出されたことも記録されねばならない。

ベルクソンについては、Theatre of Philosophyにおいて『物質と記憶』を読むワークショップが開始される予定なので、より深化した検討がなされることを期待したい。

議事終了後、駅前居酒屋「拓」にて懇親会が開催された。席上、所長による「打順の社会史──巨人軍四番に投影される日本人像」と題された短いスピーチが行われたが、概ね不評であった。