伯父さんのこと

ジャック・タチ伯父さんのことを知人とともに追いかけるあまり、昨年は伝記まで刊行することになってしまったが、いろいろ仕掛けた結果(と言って私は何もやってないが)、どうも今年は本格的にタチブームが到来しそうな勢いだ。6月には東京を中心に『ぼくの伯父さん』シリーズを中心とする大回顧上映が行われる。しかし、これをもって「再評価されている」と表現すべきではない。つまり、この無表情な伯父さんは、一度として真っ当に評価されたことがないのである。生国フランスですら、その先鋭な映像表現が十全に理解されているとは言い難いのである。困った伯父さんだ。

舞台で勝負するボードビリアン出身で、映画製作の道に入り、独自の映像表現に没頭するという姿は、どこか北野武と重なり合うものがある。ただし、タチは最後まで「喜劇映画」というスタンスにこだわった。それが最終的に「笑えない」と批評家連の総スカンを食らうという結果を招いても、彼は新しい表現で喜劇映画を創造しているという矜持とともに映画製作に臨み続けたのである。その努力が前例のない70?映画『プレイタイム』へと結実し、興行は大失敗し、天文学的な借財により彼は破産、静かにこの世を去り、「フランス最大の喜劇王」という伝説だけが残ったのである。

ここ数年、『プレイタイム』の映画史的評価が異常なほど高まっている。そのきわだつ実験性、映画のために町をひとつ作ってしまったというスケール、音響と映像の前衛的な関係、なぜ関係者多数の反対を押し切ってタチがこの映画を敢えて無意味とも思える70?で撮ったのか──欧米の映画研究誌でタチの名前が出ない号は無いんじゃないかという勢いだ。かつての小津安二郎ブームを思わせる。
しかし、ほとんどの人々は、『プレイタイム』を「見た」ことがないのだ。いや、「体験した」ことがないと言った方が良いだろうか。つまり、70mm上映の機会がないのである。70mmで上映しない限り、タチの意図はわからない。

ところで。この5月、日本にとんでもない機会が訪れる。タチ映画祭にあたって、70mm上映が実現するのである。ゴダゴダ私が書くより、以下インサイダー情報を、極秘メールからコピペして曝す。読者もそんなにいないだろうから、まあいいでしょう。映画界の事情がよくわかると思う。

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『プレイタイム』上映は、先行パブリシティの目玉という位置づけで
5月23日(金)夜9時から
一夜興業でやると決定したそうです。

場所は渋谷パンテオンなのですが
パンテオン、というか渋谷東急会館自体が
再開発のため取り壊されるそうで、
今後のことはまだ未定のようです。
70ミリ設備の常設館は
これで消滅かもしれません。

昨日話を聞いて知ったのですが
70ミリの上映は
スクリーンはともかくとして
映写設備が大変だそうで
70ミリ用映写機をレンタルすると
数100万単位のカネがかかるそうです。
また普通の映写技師だと扱えない代物で
昔の特殊技師を引っぱってくる必要があり、
そういう職人自体が高齢化で払底しているとのこと。
70ミリのプリント自体も消滅しつつあります。

いろいろ総合すると
今回の一夜興業は
さらばパンテオンさらば70ミリの
伝説的上映ということになるかも知れません。
本番が都心初の本格的シネコンで開催されることを考え合わせると
いっそう複雑な感慨がわきます。

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まさに危機一髪、この興行は映画史上の事件となることがあらかじめ運命づけられているのである。タチがこの映画の70mmというサイズに込めたものは何だったのか──それを検証する、ほぼ最後の機会である。

なお末尾にあるように、本番の映画祭は、六本木再開発のタワー内に開設されるシネマ・コンプレックスで行われる。むろんこれも話題となるに相違ない。そして私も、その新旧の対照に、複雑な感慨がわくのでありました。