戦の記憶

つげ義春の温泉』(つげ義春著、カタログハウス刊)を読んでいて、福島県会津地方では彼の訪れた温泉の多くに私自身も逗留していた事に気付き、ちょっと驚いた。というのも、本書中に再録されたほとんどの漫画を読んだことがあったにもかかわらず、その事実に全く気付いていなかったからである。
漫画では、鄙びた温泉を舞台に、何かが起こっているようないないような、独特の時間の流れが表現される。私が会津の山中あたりをうろうろしていたのはまだ若い放浪時代(笑)のことで、まさに無意識的につげ義春を「実践」していたのかもしれない。そのくせその時期に読んでいたかどうか、きわめて曖昧なのだ。


漫画にも出てくるが、玉梨温泉という只見川沿いの一軒宿に泊まった時のことである。夜になると宿の周辺には外灯もなく、川沿いなので転落の危険があり、一歩も外に出られないのだが、漆黒の闇の中の川音を窓から聞いていると、そんな時間にもかかわらず、階下から客が入ってきた物音が聞こえてきた。宿の主人も迎えながら驚いたような声を出していたので、私も興味本位でさりげなく狭い玄関に降りてみると、立っているのはまことに上品な身なりの老翁である。気品があると言っていいような人物で、この宿とは失礼ながら不釣り合いである。しかしこの闇の中を飛び込みで宿泊というそのアンバランスさが妙であったが、笑いながらその事実を詫びる仕草がまた鷹揚で、奇妙に貴族じみているのだった。

夜半、二回目の湯を浴びに浴場に向かうと、薄暗い裸電球の下、小さなシルエットが湯船に浮かんでいた。軽く挨拶すると、ああ先程は、とまた鷹揚な笑顔を返された。二、三の会話の後、お若いのに町中の宿には泊まられぬのですか、と問われ、まあこの辺の口碑などを拾って歩いているのです、と適当な事を言って誤魔化した。すると彼はこちらにゆっくり向き直り、あなたは歴史を勉強なさっていますのか、と私の目を見つめながら少し大きな声で言った。まずったかなァと思ったが、頷かざるを得なかった。

老人は静かな声で、私は鹿児島から来ました、と言った。祖父は会津で、多くの若者を殺しました、と呟いた。奇妙な独白に、私は何も反応することができなかった。ずっと長い間、謝罪に来ようと思っていたのです、と彼は続ける。若松の城下で、祖父は城攻めの先頭に立っていました、と彼は言った。ようやく私は、彼が戊辰戦争の事を語っているのに気付いたのである。

「私は昨日、鶴ヶ城の大手門の前で土下座をしてきたのです。この年になるまで、祖父に代わって長い間、謝罪をしようと思い続けてきたのですが、いつも何か障害が生じるのです。ようやくこの年になって機会を得ました」
「しかし御祖父様に、個人的な責任は無いのではないですか。新政府は正義の戦いを行なっているという前提で、兵士は皆朝敵を討つという義務感で戦っていたのでしょう」
「新政府軍に大義はあったかもしれませんが、私の考えでは、あのような殺戮は必要なかった」
会津藩としても、戦わずに降伏するという選択肢は取りようがなかったのではありませんか。だとすればやむを得ない」
「いや、あなたは歴史を勉強されているから、ひとつのお話のように理解されている。局面では無駄な、無辜の殺戮が繰り返されたのです」
「そうでしょうが、薩摩藩も大きな犠牲を払ったのではありませんか」

彼は答えず、しばらく窓越しに川の方を見つめていた。笑顔で振り向くと、──私の家に伝わっている戊辰の話がありますが、野蛮人の首刈りのようなものです。どうしようもありません、と言って、笑った。私がふと、失礼ですがお名前は、と問うと、あなたは歴史を勉強されているのでしょう、お教えするわけにはいきませんなあ、と言って、さらに大声で笑った。

翌日私が朝食をとりに階下に降りると、老人はとうに宿を出た後だった。主人に聞くと、彼はなんと会津西街道を歩いて下り、長岡へ向かうのだと言い残していったらしい。長岡藩敗走の跡を、逆に辿るつもりなのだろう。巡礼の途中で昔のお遍路のように死ぬつもりなのかと、根拠もなくふと思った。

つげ義春の温泉

つげ義春の温泉