ライトinバクダッド

フランク・ロイド・ライトという建築家についてはもう20年ぐらいあれこれ考えているが、今日ある建築家と話していて、このところ誰も言及しない彼の建築計画の事を思い出した。通称「baghdad Project」、文字通りイラクの首都計画である。

1957年に彼が取り組んだこの建築計画は、若き国王ファイサル二世によって主導された一国の首都をデザインする壮大なものだったが、翌年イラクでは革命が起き、国王は家族もろとも殺害された。最晩年を迎えていたライトの落胆は大きかっただろう。彼の死は59年のことである。

一国の首都をグランド・デザインするというのは、言ってみれば「後進国」でこそ可能なことである。日本でも明治初期、エンデ&ベックマンによる官庁集中を骨子とした東京の大建築計画が始動したが、結局は日本が急速に「先進国」化したために、様々な権力が都市建築にからみ合う事となってしまった結果、頓挫した。現在その名残は国会議事堂を中心にした一部の官庁の位置関係と、法務省の旧庁舎のみである。

イラクで革命が起きなければ──「後進国」のままであれば──ひとつのコンセプトに貫かれた例のない壮麗な建築都市が誕生するはずだった。57年にライトがある高校で講演した際の以下の発言をみてもらいたい。

「さて、現在私は、ちょっとした偶然の導きから、文明そのものが発生した場所に文化的中心となる施設を設計する仕事をしています──そう、バクダッドです。イラクが破壊される前、その中心にはハールーン・アッラシードによって建設された美しい円形の輪郭を持った都市がありましたが、北方から侵入したモンゴル軍によって破壊し尽くされてしまいました。しかし現在、その都市に残された者は石油を掘り当てて、巨万の富を蓄えつつあります。彼らはアッラシードの時代の美しい都市を再建することができるのです。ですが、そうはならないでしょう。もう多くの西欧の建築家が入り込んで至る所で摩天楼の建築を始めていますし、イラクの民は早晩、西欧の大都市で露呈している破壊的な建設手法に直面せざるを得ません。だから私は、イラクにおいてそんな西欧の手法を導入するのがいかに愚かなことかを彼らに気付かせることに、力を注いでいるのです(弊研究所超訳http://www.geocities.com/SoHo/1469/flw_iraq.htmlより無断引用)」

ライトは、破壊された古代の美しい都市を再建するという考え方で設計に臨んでいたのである。オリエント的なものに対する彼の強い嗜好は、千夜一夜物語時代のバグダッドを彼の手法で蘇らせるという方向を選ばせたのであった。果たして実際にそのようなことが可能だったのか、それはわからない。革命が起きなかったとしても、多くの巨大建築プロジェクト同様、単なる夢想に終わったかもしれない。そしてさらに言えば、実現しなかったことを喜ぶべきかもしれない。もし実現していれば、我々はこの眼でモンゴル軍によるそれらの破壊を見届けることになったのだから。