嗚呼黄眠艸堂主人

 小学生の頃は──
 学校がいやでいやでならなかつた。なぜ、あのやうに下等で、意地わるな横着な子ばかりゐて威張つてゐる小学校などといふ処に通はねばならぬのかといつも心に嘆息してゐた。
 それよりか家にゐてねころんで、夏ならば水羊羹、冬ならば花林糖のやうな菓子を喰べながら、愛読する本に読み耽つて、その世界にぢりぢり這入り込んで、その善良な住民となりおほせ、その空気を十分肺に吸つて、彩色した餅を喰べてゆかれるやうなそんな浪漫的な世界に夢中になつて、この汚くて没義道で浅猿しい現実の人生には冷たくそつぽを向いてくらしてゆく程世にもたのしいことはないと考へた。勉強しないから勿論優等でなかつた。数学が大きらひであるといふことは、我々如き者の凡そ常道であるが、これには少し註解がいる。
 わたくしが算術がきらひであつたのは、あの真四角な実証の世界のなかで、このたましひを6にきめたり8にねぢ曲げたりして、空想のゆとりが少しもないことが神経に苦痛であるからいやであつたので、或る時は3と7とが21になるとやうな、はつきりと正しい答へが、自分の生に於ける良心に対し(良心に照し)実にうれしかつたことは是又争へなかつた。そんな悦びはあるものの、沸々と沸き起り止め度もないわたくしの無限の空想のエネルギイを、無惨にも中途でちよん切つてへし折つて、あのきちようめんな数学的実証の四畳半へ無理にも嵌め込む押し込むといふことが耐らなくきらひであつた。いやであつた。
 それで算術は一向勉強しなかった。国語の方は、これはあまりたやすいので軽蔑して復習といふことをしなかつた。そのため、しばし何でもない成語熟語の真当な答へが出来かねるやうなことがあつて、点はそれ程でなかつた。唱歌はうたつているうちに、空想が限りなくわいて出て、広い二階の唱歌室から遠望すると、遠く恵那山脈が見える、中央アルプスの南端が見える。近くには天龍川の支流が、花崗岩の白く光つた河原をさらして浅くひろく流れてゐる。何故となく涙が沸いて出てつい現実のわれを忘れてしまふ。だから唱歌は大好きであつた。が、唱歌の点は決してよくはなかった。体操は好きでもきらひでもなかつたが、スポーツといふことを何もせず、ただ好きな読書と空想しかしてゐないわたくしにとつて、血液の巡環がよくなつて、あたまがはつきりして、現実が正しく爽やかに映じ来たつて──だからその点では好きであつた。が、野球をしばしば体操の正課の代りに課せられたが、野球は下手だから、といふよりは左利きで打てもせず、打てないから笑はれ、笑はれるから侮辱を感じ、ルールなど覚えようともしないから大きらひ、それこそ身振ひがするほど大きらひであつた(それが後年は見て面白く聴いてたのしくなつた)。

日夏耿之介文集』(ちくま文庫)より


またしても世界はわたくしだらけだッ。
ところで先生、どちらのチームが御贔屓だつたのだらうか……。

日夏耿之介文集 (ちくま学芸文庫)

日夏耿之介文集 (ちくま学芸文庫)