恒例

さりとて本日の、お向かいさんのモスバーガー前はサンタ姿のアルバイト少女。例年同様殺気を振り撒いておられる。本年の彼女はキャッチセールス風である。よりアグレッシヴである。つまり「こんなサンタクロースはイヤだ」と言いたくなる風情である。

昨年同様階上から彼女サンタを眺めながら、本年もまた自分用メモすら書き残したる事の多きことを憂うわたくし。

本年開催展観数カ所。

千葉市美術館『伝説の浮世絵開祖 岩佐又兵衛』。
凄まじい色の奔流であった。ちょっと気の効いた日本文化通外人の首を絞めながら、野郎、オマエの考える日本美術の特質を言えッとやると、大抵が装飾性と平面性です、と白状する。いやべつにいいんだが。「浄瑠璃物語絵巻」見ないで装飾性言うな、「堀江物語絵巻」見ないで平面性言うなというほどの飛ばしっぷり。この凄まじい彩色、だみ色の迫力、細密な工芸的感覚とも言える画面には、やはり桃山のねっとりした感性が匂う。強いエロスである。

私の内部でそれと呼応するのが、東京国立博物館で開催された『万国博覧会の美術』展。幕末から明治初期のパリ・ウイーン・シカゴ万博に出品された美術工芸品展観である。殖産興業の一端を美術・工芸が担う明治初期の日本の状況を反映した作品群にはある種の「限度の無さ」が露呈している。いや、想像しづらいことだが、要は軍艦を買おうにもニッポンには外貨が無いのであり、つまり美術工芸品は当時重要な国策輸出品として目をつけられたのであった。西欧人を驚倒せしめるものを込めねばならぬという思い込みが、官民一体となった美術ミリタリズム的作品群を生むのである。マニエリズムからさらにキッチュへの通路を経てゆくのですね。ではあるが、通路に向かおうとする明治初期のある一瞬、近世の眠りから覚め、世界に暴発しようとする意気込みに震える日本美術は、持てる技術をもの狂いするかのごとく発揮したように思える。その技術の暴走に、岩佐又兵衛の「過剰な絵巻」の照り返しは確実に存在する。

あー時間がない。続く。