謹賀新年

本年も宜しくお願い申し上げます。

ということで、昨年からの積み残し展観memo数件。
いかにもカッコ悪い。


興福寺国宝展』(於東京芸大大学美術館)
廃仏毀釈というイヴェントが最も戯画的な形態をとったのが、あるいはこの寺だったか。もともと藤原政権的には春日大社とセット売りだから、なんというか、寺として立つといった強さのようなものが遺伝子として薄いと申すか。寺僧は唯々諾々と還俗し、五重塔は拾五円だかなんだかで売りに出されたのだった。
ただ、ここらの寺は日本歴史の風向きがちょっとでもズレていたなら、ちょうど西欧のある種の僧堂のように全て大学のような高等教育機関に変じていたに違いないのである。僧侶たちもごく事務的に衣を脱ぎ捨てたようなきらいがないでもない。法相宗などは極端に言えば仏教儀礼などはどうでもいい、単に唯識論を学ぶ高度にスコラ的な教義なものだから、これはもう法学部ですよ。いやーでも唯識ってエスノメソドロジーだなー、って展覧会はどうしたのだよ。という話だが。鎌倉期の仏は北方ルネサンス系である。おわり。


江戸川乱歩と大衆の20世紀展』(於東武百貨店
さすがにデパート展示会場での開催だけあって、イカモノ感が漂うのが、らしくてよかった。トホホ感も横溢。乱歩の資料だけにしてくれーッと叫び出したくなるような装置が折々に設置してあり、よかった(どっちだ)。
展示品中興味深かったのが乱歩邸の電話帳で、チ〜ツの頁が広げてあり、個人的には知切光蔵の名前が印象に残る。
デパートを出て、ついでに公開された旧宅に向かい、蔵も拝見。日によっては相当な行列で、そのあしらいに憤激した方もおられたようだが、当方は特段の無体な扱いもされず拝観した。以前この日記にも書いたが、私は某件でこの邸宅に上がり込んで、雑然とした応接間のテーブルに無造作に放り出してある例の「貼雑年譜」の実物を瞥見した経験がある(泥棒ではありません)。いまや整然と整備されて公開されている応接間を窓から覗き込んで、感慨無しとしないのであった。全て歴史となってゆくのですね。大袈裟です。


牛腸茂雄展』(三鷹市美術ギャラリー
近場の小さなギャラリーにて。しかし、内容は大きなものだった。私はいままでこの写真家の事歴をなんとなく知っているような気になっ討い燭??夢僂靴徳瓦??櫃魄貶僂気擦蕕譴討靴泙辰拭?海亮命寝箸寮???藹?瓩泙任鬚罎辰?蠱?襦∪鼎?世?狹?陛鹸僂世辰燭箸い┐襦3慇源?紊僚?遒鮓?得豺彊磴い亮命寝箸砲覆襪海箸魎?瓩紳臘埓胸覆隆穃呂發燭い靴燭發里世?△修僚?鄂?世離廛螢鵐箸鮓?董△爐戮覆襪?覆箸い?廚い任△辰拭
このところこの作家については各方面で語られているのでとりたてて追加することはないが、ただひとつ、彼の写し取る人物の、レンズに向ける視線の独特な味は、彼の存在自体の具体的な不安定さを反映しているものだということは理解できた。そして画面の人物の視線に見返されている私たちの個別の不安定要因こそが掘り出されてしまうということに、彼の写真群の魅力の要素のひとつがある。とメモしておこう。

牛腸茂雄作品集成

牛腸茂雄作品集成

安井仲治展』(渋谷区松濤美術館
過去最大のレトロスペクティヴ。圧巻である。それこそ私があれこれ言うことはほとんどない。阪神間モダニズムを下支えした市民文化の厚みを感じる。写真を純粋芸術として支えたこのアマチュアリズムは関西独自のものである。
そういう、いわば旦那芸の世界から発した写真群のなかで、安井の作品は旦那芸的なものとは隔絶したとりわけ特異な感覚を持っている。作品には単なるタブローに留まることのない突き抜けた感覚があり、日本の写真芸術の辿る形式的な発展史を踏み外すような、ある種の規格外の数枚を生み出している。その旦那芸との断層の淵源を、やはり関西文化と絡めていまちょっと考えております。

安井仲治写真集

安井仲治写真集

『もうひとりの山名文夫1920-70年代』(銀座グラフィックギャラリー)
山名文夫の世界 曲線のモダンガール』(House of Shiseido)
ノンビリしていたら最終日であることに気付き、年末の種々押し迫った日に息も荒く駆け込んだむさ苦しい私を見つめるハウス・オブ・シセイドウの美しい受付嬢の目には不審の色が……非常に場違い感溢れる私ではあるが、山名文夫のアートワークはエエ。エエものはエエ。展示されていた50年代の資生堂ドルックスシリーズのプロダクトデザインなどは、商業製品としてはまことに繊細極まる、一種の頂点ではなかろうか。母親の鏡台で見たような気もする。
銀座グラフィックギャラリーの方には対外宣伝誌『NIPPON』で使用されたレタリングの版下現物と、その発行元である日本工房で使用されていたレターヘッドの現物が展示されていて仰天した。こういうものは最も残存することの少ない人文資源である。スバラシイ。
山名の冷たさのないモダニズムは、本人の資質によること大であろう。彼のモダニズムのキャンバスは常に「女」である。女性こそがモダンを体現する速度を持っているというのが山名の直感だったように思う。むろん、正しいわけだが。

で、キリがないのでおさらいは終了……滞留禁止が本年の抱負。