炎上

深更、ダイニングの床に遺棄死体の如き姿勢で横たわっている自分を発見する。卓上に屹立する「酔心」の一升瓶を酔眼朦朧として見上げながら、なにゆえこのような中途半端な時間に目覚めたのか不審に思うが、耳朶をつんざく、深夜には異様なブォー、ブォーというサイレン音に、なるほどこれかと納得した。聞く者の動物的無意識に訴えるような、むせび泣くようなサイレン音である。遠く近く、闇夜に吼えている。

こいつの正体はわかっていて、防災無線のネットワークから、時折ぶおぶお鳴らされるのだ。近時では例の23号台風の接近時、多摩川の囂々たる増水時にかき鳴らされた。そんなもん対処の仕様がないのだから、無用な不安を煽るだけのようにも思える。ただし、地元の消防団員のおっさん達は、このサイレンで各自起動せねばならんのである。

しかし、この深夜だ。何事もなく暮れた夜だった。どうという事も無かろうとは思うが、生の根元的不安を掻き立てるような(笑)その音は止まない。
そのうちに、消防のサイレンがあちこちから聞こえているのに気づいた。酔っぱらっているので反応が遅いのだ。通奏低音の如く先程から響いていたのである。心気を鎮め、じっと耳を澄まし、響く方角を検証する。が、四方八方がランダムに音を発している。
こりゃ大きい。
近いのか遠いのか。

玄関口に出ると、向かいのH氏がタバコをくわえて立っていた。私の顔を見ると、東ですね、と言い、指さして、煙が見えます、白くなっています、つまり消火中でしょう、消防署とは逆方向から走ってきた車両がありましたから、近隣の応援を頼むほどには大きいですな。まあばらけたサイレンの音がもう集中して聞こえますから、この辺は大丈夫でしょう。──あんたは消防評論家か。と言いたいが、はあはあと頷きながら、なんとなく話の流れで、行ってみますわ、と自転車に跨った。

投光器の光を煙が反射して、にわかに白い塔が出現したようだ。上空にヘリコプターが飛んでいる。一瞬、白煙の反射か、機体の赤い色が見える。消防のへりだろう。そんなに燃えているのか。京王線の踏切を渡る頃には、もう確信した。
燃えているのは、大映撮影所である。

深夜というのに、野次馬が右往左往している。「映画俳優の碑」の建つ、いつも散歩する公園は前線基地になっているようで、消防服の連中が群れていた。どうも、この公園からでは全容が見えない。道の突き当たりに撮影所の大きな扉が見えるはずだが、煙に巻かれているのか、霞んでいる。自転車を放り出し、何気なくすーっと消防服連中の横を抜けていこうとすると、案の定、どこへ行くんですか、危険ですよ、と声をかけられる。いや、あそこの住人です、と、咄嗟に撮影所向かいの古びた大きなマンションを指さす。気を付けてください、という声を背後に聞きながら、そうかこの手があったかと、マンションの入り口を目指す。

規制があるのかないのか、このあたりでも人間がわさわさ行ったり来たり、騒々しい。赤い回転灯がこの一箇所に、いくつ集結しているのか。号令の声、笛の音。溢れた水で、道路は洪水のようだ。警官が何かを叫びながら赤い棒を振り回している。マンションのエレベーターは何かの制限がかかっているのか、一階でドアが開け放したままだ。外階段を駆け上がる。風向きが変わり、むき出しの外階段が一瞬、煙で真っ白になる。プラスチックの燃える耐え難い臭いに巻かれ、咳き込む。刺激され、涙で視界が歪む。へりがまたやって来た。凄まじいホバリング音だ。一瞬、煙が一切反対側に流れる。燃え上がる第3ステージの背後の真っ暗な夜空に、投光器に照らされ、立ち上がったガメラが、その手を巨大な角川大映撮影所の屋根に振りおろしたのが見えた。