「タイーホされますた」一件

に就きて書くと言ひ条。
当ブログのヘビーユーザー連には粗方喋ってしまったのでやる気が失せてしまったというのが実情であるが、ともかくもよんどころない理由で新宿署刑事課大部屋及び取調室を見学中、脳内に提起されたのは「ブログ業(ごう)」という概念である。要するに身に切迫する何事かが生起しても「ネタになるんではないか」とメモパッド起動状態になるという業である。つい数年前までは職業的なもの書きしか罹患しなかったこの種の病が、いまや巷に蔓延しているという状況についてはどう評言すべきか。

白山の坂を上がってほどないところに、大円寺という、ほぼどうということもない禅寺があり、門前に掲げられた教育委員会による文化財表示の中の「斎藤緑雨の墓云々」という一文を読んで不思議に思ったのは親族の法事で初めて訪れた折であるから、これはずいぶん若い頃である。
いやもう関係ない話をしてますよ。

で、緑色の雨って何なのか。
法事の度に何だよと思いながら、結局緑雨居士の何たるかに触れるのは既に自分が緑雨の逝った歳を越えようかという頃からで、かといって特に入れ込むでもなく、親族の墓のお隣さん故のおつきあいであり、事は長らく文学史のお勉強の域を出なかった。どう転んでもマイナーポエット扱いから格上げするにはその文業の印象はあまりに偏狭に過ぎるわけであり、それはむろん私のせいではなくて、日本近代文学史というひとつのストーリーのせいである。ひいては本人のせいである。逆かもしれないが。

緑雨の文業というのも、このブログ業の如きものと類縁性があるのではないか。と書くと話が落ちて当初の話題に回帰してしまうが、それはともかく、この男、どうも2ちゃんねらー的感性という視座を設定すると徹頭徹尾そのキャラクターが腑に落ちるのである。その真性厨ともいうべき仮借無い攻撃性とシニスム。ツンデレともいうべき作品上での女性嫌悪樋口一葉へのいい人過ぎる献身。文章読んでどんなヤな人かと思って会ったらフツーの人でしたというあたりがすぐれて厨である。や●●たさんみたいではないか(笑

仮名垣魯文の弟子であったというあたりからすでに大きく誤解される構えになってしまうように思えるその経歴だが、新聞を渡り歩いて警句と皮肉を吐き続けるという姿には、時代とメディアと都市の生み出した才気という感がある。
そういう人いますよね、ウェブ上にも。

しかしながら、その末路は悲惨なもので、借家の陋屋でボロボロになって死ぬわけだが、死に臨み友人馬場孤蝶に口述して万朝報に広告を出す。以下のようなものである。

「僕、本月本日を以て目出度死去仕候間此段広告仕候也 四月十三日 緑雨斎藤賢」

なんというのか、世間というものに対する本物の呪詛を感じる。そしてちょっと飛躍するようだが、文筆というものの業を感じるわけです。オチはありません。