呼称論(弐)

まことにシツコイようだが、カントクでもう一つ思い出した。

知人のS君(年齢不詳・消息不明のため現職不詳)は私が小汚い倉庫でフォークリフトを乗り回していた肉体労働者時代、同様に肉体労働に従事していた同輩である。
ある日彼は何の前触れもなく、オレは知的労働者になるんじゃと叫んで映像業界に飛び込み、何のことはない同様に肉体労働を強いられて周囲の失笑、いや爆笑を買っていたが、青天の霹靂というやつだろうか、降って湧いたように彼にも知的労働なるものの機会がやってきたのである。彼は腰に付けたガムテープと大工道具をぶら下げた職人ベルトを投げ捨て、勇躍京都へ向かったと思われよ。

若造のS君に下された使命は、スケジュールがもうタイムマシンが必要なほどにあり得なくなったヴィデオ映像仕事に、あり得ない理由で必要になった数分の大雨のシーンを、あり得ない予算で補充する、というものであった。ディレクターやその下のアシスタントやそのまた下のアシスタント等々は既に生きているのがあり得ない状態に置かれており、死屍累々の惨状の中、ただの一兵卒に過ぎない彼に、西部方面の指揮が不可抗力的に委ねられることになったのである。
時に、日本映画厳冬の時代である。京都の名門、某撮影所などをそんな仕事で使用できたのも、よくは知らないが、当時本編の仕事がほとんど入って来なかったからだろう。そして夕刻、恐る恐る撮影所にて来意を告げるS君は様々なセクションをたらい回しにされ、そんな話聞いてへんでと怒鳴られながら、最終的に、ある爺さんの前に引き出されたのである。

爺さんは一升瓶を脇に置き、S君を前にねちねちと説教を始めた。あり得ないスケジュールを上から提示されていたS君は、この夜中にでも撮影を開始したい勢いであるが、台本は昼のシーンである。S君も半ば錯乱しているのである。椅子に座った爺さんはS君を目前に正座させ、そんな撮影があるかと烈火の如く怒る。撮影経験の如きものは1分たりとも無いS君は、説教の1分ごとに寿命が減っていくようで、眩暈がするまま正座し、そしてただ延々時間だけが過ぎてゆくのである。
さて、どれだけの時間が過ぎたのか。そのうち、爺さんの説教の中に「先生の頃は」「先生のやり方は」という単語が混じるのにS君は気が付いたのである。どうもその先生のやり方に沿わないものはダメらしいのだった。S君はせめて、ではその先生のようにやるのでお願いします、とでも口を挟もうと考え、眩暈のなかで集中していると、その先生なるものの正体は、なんと、溝口健二であった。

S君は、失神しそうになった。
もうダメだ。
このまま失踪しよう。

──しばらく正座したまま飛んでしまった意識の混濁から恢復すると、爺さんも夜半に至って酩酊かつ疲労したのか、もうええ、時間が無いんはわかった、明日早朝これこれの時間にまた来い、といってS君を追い払った。

ミゾグチのくだりで私は爆笑してしまい、その夜彼がどう過ごしたかは聞き漏らしたが、失踪しなかったのだけは偉かったと言える。
まあそれで、翌早朝、打ちひしがれたS君は、また某撮影所の門をくぐり、とぼとぼと昨晩の爺さんの所へ出頭すべく重い足を運んだのだった。そして、オープンセットの角を何か所か曲がり、顔を上げると、ここでまた彼は、失神しそうになるのである。

そこには台本通りの完璧なセットがしつらえてあり、キャメラが据えてあり、雨の効果用の水をくみ上げるポンプには電源が入って、既にゆっくり音を立てていたのである。効果担当の数名のベテランらしき爺さんたちが既に自分の持ち場で鋭い目を機械に注いでいる。
キャメラの横には椅子が置いてあり、その横には昨日の爺さんが腕組みしてキャメラの狙っている方向を見つめている。S君はどうもその椅子に自分が座らなければ全てが始まらないということにようやく気付き、ふらふらと幽鬼の如く近づいて、すとんと座った。
爺さんはさっと腕組みを解いて振り返って近づき、半身をキャメラの方に向けながら、S君の前に片膝を突き、こう言ったそうである。

「カントク、雨のキッカケを!」