呼称論

知人のY君(哲学者・推定34歳・金髪)が自宅近くの寿司屋に立ち寄った途端、そこの大将から二人称として「カントク!」と呼ばれっぱなしだったと仄聞するにどうにも笑いが止まらず、果たしてそれは如何なるカントクなのか、何物をカントクする存在なのかという思いがたゆたうのであった。草野球チームのそれであったかもしれず、ピンク映画(古)のそれであったやもしれず、大将の脳内に存在するカントク像を腑分けしてみたい欲望に駆られる私は、思い出しました。古き良き80年代の高円寺、穏和な住宅街のムード漂うPAL商店街の中葉に、何故か不吉なまでの唐突さで「キャバレー・ロンドン」が、空間を切り裂くような真っ暗な階段の口を開けているあの風景。八百屋や呉服屋が並ぶアーケード街に放り込まれた亜空間。バッキンガム宮殿の衛兵まがいの異様な制服を着た呼び込みのおっちゃんが、夕刻の商店街を行き交う一般市民の中から、八百屋の前で、一本釣りするが如くに客に向け鋭い声かけを為すのである。奇妙としか言いようがないその風景は高円寺住民には慣れっこであり、誰一人不審に思う者もないアナーキーさよ(もっとも当時の高円寺全体がアナーキーそのものであったが)。
いや、それでそのおっちゃんである。仲本工事にそっくりのおっちゃんは当時我々高円寺仲間の間でそのまま「仲本」というあだ名を付けられていたが、彼の声かけにおいて、対象のプロファイリングの絶妙さがしばしば話題になったものだった。曰く、当然ながら初老の男には「社長」、中年に差し掛かったような男性には「部長さん」、職人風の男には「大将」、棒ネクタイのオジサンには「先生」、等々は常識的だが、もう忘れたけれども、他にもこれはありかよ、というヘンな呼称を連発していたものである。
まあそれで、いかにもその手の場所に縁のなさそうな我々貧乏学生は一顧だにしないのが彼のポリシーだったわけだが、そうなるとこちらも探求心がむくむくと盛り上がってくるわけである。彼の客としての引き出しにない我々は、如何に分類され得るのか。
ある日の夕刻、彼の目前をワザとふらふらし、暗い階段を興味深げに覗いてみたと思われよ。当初、全く彼の視界には入っていなかったようなのだが、あまりのわざとらしさにとうとう彼も無視できず、両手を広げて満面の笑みを浮かべた彼は、私の前に立ちはだかり、大音声で
「先輩!」
と叫んだのでした。