ものぐるい

やきものがわからないと公言してきて、ごく当たり前のようにそれは花の名前を憶えないのと同じような心根によるもののような気がしており、どのみちそういう連想の暢気さは人生においてやきもの一般を愛する必要にも迫られず、基礎的な教養の欠如として恥じるような場面も訪れることがなかったからであり、結句そのようなどうでもよい認識の群れのなかにやきものは放り込まれておればよかったのである。
尾張一宮の森川如春庵、この明治生まれの長生きした男は少年期から茶事に淫していて、たった16の歳に本阿弥光悦の銘「時雨」という茶碗を手に入れ、19 の歳に同じく光悦の銘「乙御前」なる茶碗を入手している。前者は現在、重要文化財である。後者もそれに類するものであるのは明らかだから、これはもう、もの狂いである。この「どうかしている」加減は、我が国の近代という一時期に素封家という部族が各地方に散在し割拠して、こういうもの狂いを生み育てたがためである。
それでやきものがわからない話だが、如春庵は中学時代、昼は野球ばかりして、夜は茶の湯に勤しんだとのことで、これはこれで致し方ないと思わせるものがある。私は野球がわかる。中学時代野球に淫したからだ。やきものがわからないのは、同様に淫する才能がなかったのである。と素早く結論づけてしまうのも阿呆のようなので、もう少し思考の足を伸ばすと、近代における茶事の担い手の変容と道具類の有為転変と産業構造の歴史という文化史だか社会史だかわからない事象に思いが至るが、これはなかなか手に余るのでここでは三題噺の提案に留めたい。というかもうどこかであからさまに言及されているのだろう。要はわからないのは野球のせいだということになるのだが、これは冗談でもなんでもない。野球は素封家を駆逐する。野球は娯楽化して、素封家の蓄積は平準化されてゆく。かくて私は延々やきものに到達しない。
さて平日の午後のビルディングの7階、日本橋三井記念美術館に登ると、周囲はお稽古事の甘ったるい匂いを漂わせる御婦人方が集積し、なかなか結構な入りである。つまりその如春庵の旧蔵品を集めた展観である。ずいずいと掻き分け、件の「時雨」と「乙御前」に私が面会しているのである。数十年ぶりの公開ということで、容赦なく堂々と並べて展示してある。黒々とした「時雨」と赤く耀く「乙御前」、それでこれはなんとも、眼前にするとどうにもわからない努力が必要なほど、無理矢理わからされる共振ぶりであり、あからさまな優品とはいずれこういうものなのだろうかと思うが、見ているこちらが赤面するような出来である以上、私は前言を翻すが如くにわからざるを得ない事態に追い込まれているのである。であるから、ここは光悦がわかったと考えるのが妥当であろう。光悦の手がやきものの生産を超えているのである。美意識がみるも不定型な土塊となって立ち現れているのだから、うろたえることなく、純粋にわかる以外に対処の仕様もない。
ともかくもこの二碗をわがものとして眼前に並べ、脂汗を流して睨み付けていた少年とは何者か。如春庵はその90年以上に及ぶ生涯で、一度も労働らしきものは経験していないというが、蒐集と茶事で人生が構成できるのならばそれは才である。世に益すること何一つ為さずして逝するを羨むべきで、その財は羨むには及ばない。茶は物品蒐集でもセレモニーでもない永い藝事であることがここで薄々知れるのだが、そんなことがわかったところでどこにも始末の持って行きようがない。こういうことは論にもならず、教訓にもならないのである。感想などという平板なものは持たないに越したことはないが、こういうものを見て、こういう男の人生を見てしまうと、またこれで私はやきものからさらに遠くなったようにも感じる。