事故のてんまつ

先般の護衛艦衝突事故の謝罪のため行方不明者宅を訪れた艦長の写真を新聞各紙で御覧になった方も多いでしょうが、正面から撮られた艦長の制服左胸には略綬が一切取り外されておりました。既に罪人扱いというわけですね。それはそれとして今般の事故についてよく聞く緊張感が足りない云々の評言はまあ、その通りであるのですけれども、どこまで緊張すれば緊張感一杯であるのかというバカバカしい感想も抱いたりしながら、では例えば戦時というものは一般に緊張感一杯なのかというと、その通りでありまして、そしてその「戦時で緊張感一杯の空間」の中でも堂々と事故は起こる。内局がどうの制服組がどうのと組織論めいたものが巷間もっともらしく語られておりますが、ちょっと待て。何か異様なる事態が発生したときには先ず歴史に学べ、というのがこういった場合、大原則であります。
で、漁船と舷側の灯と軍艦。今回鍵となっているこれらのタームが揃っている一件があるわけですが、戦争前夜の緊張感高まる1939年、豊後水道沖の演習地点に向かうため航進中の伊六〇号潜水艦は、僚艦伊六三号の舷灯と艦尾灯を漁船2隻の灯火と誤認し(つまり今回の報道で問題になっておりますところの漁船の右舷灯と左舷灯と認識した訳ですね)、間を通り抜けようとしたのです。結果、伊六三の右舷補機室へ直角に激突。伊六三潜は瞬時に沈没、艦長以下81名の犠牲者を出しました。
詳細な事故状況まで御説明するのは任ではありませんし、偉そうに教訓めいた事を申し上げる気はさらにありませんが、大きいフネが小型船群(のまぼろし)と絡むとどうなるのかという想像力は、一般論として戦史を学ぶ機会があったならば持つべきでありましょうね。この事故の直接原因は配備地点の誤認によるものなのですが、いずれにしろ緊張感云々の精神論やら組織論やらでは、昔も今もヒューマンエラーはどうにもなりませぬ。というメモ。