連想譚

古本まつりに賑わう神保町交差点から少々離れた場所にあるU書房に立ち寄ってみると、開け放った扉の内側に「ありがとうございました U書房は閉店致しました」の看板。見えている棚は営業中の姿そのままだが、そこに本は一冊もない。慌ててちょっと中を覗き込んでみると、奥には店主がいつものように座って通りを見るともなく見つめているので虚を突かれ、ぎょっとする。店を片付け終えてある種感懐に浸る体にも見えたものだから、声をかけそびれたまま、立ち去らざるを得なかった。有為転変云々は言うまでもなくであるけれども、表通りの祭りの姿に比し、あまりにも対照的な光景。


U書房といえば、こちらで購った書籍で仕入れたあやふやな知識で確か、人前で申し上げた馬鹿話が二、三あったような。ふと思い出すのは黒船来航ペリーの話などである。江戸期から延々「ペリー提督」と言いなしているが、来航時の彼の階級は大佐であるから、彼は提督ではないので、これはカダフィ大佐みたいなものであるとかなんとか。つまりほぼ、どうでもいいのですが。


ペリーといえば、その日本遠征隊員だった一青年が後年、明治も後半になって日本を再訪したことがあったらしい。上陸の地に立ち寄り、その帰途横浜のある小学校で遥か江戸の記憶を語る講演会を催したとの話は、長谷川伸の『佐幕派史談』にある。つわものどもみな死に絶え、かの一隊の生き残りはもはや私だけであると涙ながらに語るその男の姿を不思議そうに見守る小学生たちの中に、幼き長谷川伸もいたのだった。


長谷川伸といえば、いわゆる「瞼の母」譚だが、その背景となった彼の実人生そのものが、最近なんだか売れた話であるところの「ホームレスなんとか」にプロットが似ている。次第に没落して構成員が消えて行く一家に生まれついた彼は、小学生の頃のある朝、起きたらついに父親もどこかに逐電してしまい、家族が解散してしまうのである。そこからひとりで生き抜いて行く彼の人生の方が、今となってはその小説よりもリアルである。というか、そのような話柄が耳目を集めるのは今も昔も変わりはない。


瞼の母」といえば、上記のように長谷川伸の没落し解散してしまった家から出て行った(離別された)母を慕う心情が下敷きになった戯曲だが、その離別された母が再婚した家で為した子が、後に侍従長となる三谷孝信である。奇譚である、と言っていいだろうか。奇譚ついでに言えば、その三谷孝信の長男である信は三島由紀夫の無二の親友であり、「仮面の告白」に登場する人物、草野のモデルなのである。そしてその妹が、作中の重要な人物である園子のモデルである。


仮面の告白」といえば、河出書房での初出時の担当が坂本一亀である。今では坂本龍一の父親と言った方が通りがいいのだろうか。評伝も出ているほどの、いわゆる伝説の名編集者というやつである。なんだか定型の如くの、鬼編集者なんである。学徒出陣帰りのまま河出に突っ込んでいったかのようで、仕事は軍隊式編集作法。事あるごとに、編集者はサラリーマンであってはならぬ! と周囲を一喝するのである。黒井千次は同じ作品を2年間延々書き直させられ、水上勉は700枚の小説全部を4回書き直させられ、つまり2800枚の原稿用紙を消費。まあ、だからこそ鍛えられるわけである。こういう仕事のスタイルは、軍隊帰りのひとつの型だが、部下はたまらん。当時河出に在籍された藤田三男氏は、全ての文芸誌はもちろん、総合月刊誌、美術雑誌、カメラ雑誌まで読めと命令され(新人発掘術の一環だろう)、1日小説1作、600ページほど読んでレポートを書かされたと述懐している。これがサラリーマンでなくて何であろうか。いや皮肉ではありません。


藤田三男氏といえば、本書をお読みいただきたい。これ実に、善き書である。

榛地和装本

榛地和装本

以前氏の事務所に、ある作家の写真を拝借するため伺ったことがあったが、むろん鬼が現れたわけではなく、物腰の柔らかい紳士であった。事務所は神保町周辺だったように記憶するが、もう記憶も薄くなるような昔の話である。という回想は当然ながら只今このときに、私が神保町をうろついているからであって、やっていることは記憶の薄くなるような昔から何の進歩もなく、古本まつりの雑踏にやるせなく押し流されているのである。そして(冒頭に続く)