牧島如鳩の居場所

じつに当然のことですが宗教画というものは一定の様式を踏むものであり、そして往々にしてそのステロタイプな様式の反復が時間的に集積されるなかから、なにものかの啓示を含む特異な図像が立ち上がってくるのものであります。反復され消費されるうちに、その様式からある種の微細なズレが生じるかの如く聖性を帯びた逸脱が時として成就する。しかしそれは宗教画の持つ本来の機能からすれば、想定されざるミスのようなものかもしれません。様式の固定はその宗教の普遍性と強固な教義が保証するものだからです。


たとえば仏画においては古来その描かれる要素それぞれに厳密な儀軌が定められ、図様にはごく単純にして厳密なマニュアル化が施されているにもかかわらず、そこからの微妙な逸脱に奇妙な魅力、あるいは神秘性が匂い立つのであって、つまり単なる線と色との構成に留まらない宗教的な成果は儀軌からの「ズレ」と測定されるものから往々にして生成されます。そこは近代の美術観から見れば「画家の個性」として読み取られるものと重なるのかもしれません。儀軌を越える画家の芸術的感性がオリジナリティ溢れる作品を生んだというストーリーですね。この正面切った正しさを持つ理屈は無論強力なもので、特に色めき立って反論することもありません。が、ここにそういう近代的自我論議をぶっ飛ばす画家が現れたのである。って昔から現れっぱなしで私が知らなかったに過ぎませんけども。


牧島如鳩はイコン画家としてそのキャリアを開始し、終生ハリストス正教の信仰を保持しつつ自らを布教者と規定していましたが、その内面世界はあたかも現在大阪生駒山麓に無秩序な広がりを見せる民俗的宗教集落の如くであります。イコンも描くし仏画も描く。いや、こういう表現は正確ではない。仏画としてのイコンも描くし、イコンとしての仏画も描くのです。横たわるイエスは涅槃図の相貌を帯びているし、千手観音の脇侍たちはセラフィムの様相を呈する。比喩ではなく、そのような画像が存在するのであります。まあ如鳩にとってセグメント化された個々の宗教は至高の存在がこの世に示現する際の様々な意匠に過ぎぬもののようで、このあたりも現今の新興宗教の開祖の言動や生駒山麓的な現象と近似性が感じられます。つまりそのこと自体はとりたてて独自なものではありませんが、後半生に至って直接霊的啓示を受けて描かれた作品群にはやはり神秘家だけが持つ凄みが感じられ、画面から発する霊気にはただならぬものがあります。彼が日本画家の父から受けた基礎教育と、イコン画家となるべく受けた直截な油絵教育のアマルガムが、その信仰のアマルガムともいうべき内面世界とさらに複雑な反応を経た結果、産み出されたものは美術史的思考による分類を拒否するなにものかであり、つまりは現代に甦った純粋な宗教画そのものでありましょう。


私はこの時として泥絵のような、江戸期の洋風画のような、明治期の油絵歴史画のような、素朴派のような、アウトサイダー・アートのような、またそのいずれでもないような不可思議な色合いの作品群を前にして、如何に分類であるとか歴史的展開であるとか手法であるとか、そういった分析的思考が無力であるかを感じざるを得ないわけです。これはかつて高野山霊宝館所蔵《阿弥陀聖衆来迎図》を拝見した折にも感じたことですが、結局簡単に言えばこれら宗教画の出来は異界への参入手段としての優劣を競うので、先にも言及したある種のズレを記述するための用語を我々は持たない。いや、布教者としての如鳩は延々自らが如何に霊的な啓示を受けて描いたかを述べるでしょう。しかしその作品は彼の言葉自体も超えた様相を呈して啓示を発する運命にあるわけです。作品が作者の所有を超えるのが、宗教画の前提でありましょう。


どうもこのあたりから、おそらく言葉というものは堂々巡りを開始することになりそうです。実物を検証する余裕は、全く残念ながらこの週末までですので、あれこれはまず見てからだ。さあ以下まで走れ走れ。

http://mitaka.jpn.org/ticket/090725g/