境界の私

所用で京王線に乗り終点の橋本まで赴いたが、帰途思い立って「多摩境」という辺鄙な駅で降りる。
駅前には、何もない。大袈裟ではなく、本当に何もない。がらんとした半地下の広場で、少年が一人、スケートボードの音をかたんかたん反響させている。降りたのは私の他に中年の男がただ一人。こんなところで降りて、どこへ向かうのか。他人事ながら、しばしその人の背中を見送った。

かく言う私が向かったのは、駅の西方、緩やかな傾斜地にぽつぽつと無秩序にばらまかれたような建売住宅の間の、一角である。山肌をぶち抜いた大きな道をはずれると、開発がはじまる以前の古い民家がまだ数軒残っているのが見えた。
その中の一軒の軒先に、大きな石柱が立っている。表面に、「史跡 田畑環状列石遺構」と大きく彫り込んである。
ここは(おそらく)東京都内唯一のストーン・サークル遺跡だ。縄文人の祭祀の場である。大胆にも、露天で、掘り出したそのまま保存してある。というか、放置してある。

イギリスのストーン・ヘンジ同様、人類にとって円形というのは、古くからなにやら高度な精神性を伴うもののようだ。「祭祀」遺跡と推定するのも、結局我々が円形というものに対して勝手に抽象性を読み取っているだけの話である。しかし、どう考えたってそれが誤りでないという我々の確信は、無意識のうちに縄文から連綿と続くある種の精神性を我々が共有しているという事実の反映だろう。

周囲を見回し、柵を乗り越えてサークルの中心に入る。
秋田県大湯のストーン・サークルなどと違い、ここのは中心がぽっかりと空いている。大いなる空虚に、何者かが召喚されるということか。真ん中に座ると、楕円形の長軸方向が真っ直ぐ富士山に向かっているのがよくわかる。不死の山に向かった再生儀礼の場、か。少々出来過ぎだ。極太の石棒が数本、折れたまま富士山側に倒れている。少々ゾクゾクしてきた。さらに出来過ぎの舞台装置のように、先程まで晴天だった空に西から黒い曇がかかってくる。これでは諸星大二郎のマンガである。早速退散。

考えてみると、あの場所は古代の武蔵国相模国のほぼ境界上に位置するのであった。境界というゆらぎの場には、様々な不可思議な存在が現れる。民俗学では境界を守護するサイノカミという神霊の存在をしばしば報告するが、彼らは境界の不思議そのものでもある。旧分国の分割線の発生がどのような根拠に基づくかは一概に言えないが、旧分国の境界ラインが、より昔からの何らかの意味あるライン上に位置する可能性はある。

駅に戻り、「多摩境」というしらじらとした駅名板を見ていると、先程私と一緒に改札を抜けた男が、また私の横をゆっくりすり抜けていった。彼の来た方向には、それこそ、まばらな林の中に延びる道以外、何も見えない。何となく妙な心持ちのまま、帰途につく。