日本民族論

台風直撃でみんな気もそぞろ、街もなんだか浮き足立っていますね。サラリーマンにとって天災はハレの空間を作りだす装置だから、おとうさんたちは口々に電車止まるよ、早う帰れとうれしそうに若い人に声をかけて回っている。祭りですね。要所要所でオレは泊まりだーとか叫んでいる。楽しそうだ。
私も早々に引きあげたが、帰途で見た埼京線は惨状を呈していた。べつに毎日惨状を呈しているのだが。この路線は痴漢電車として有名だが、それだけの密着率とそれだけの鬱屈を抱えた路線なのである。幸い私はラッシュと逆方向になるので、その痛ましい光景を日々見るのみだが、もう実存の不安を感じてしまいます。『地獄草子』という中世の巻物の、「叫喚大地獄」の光景が眼前に繰り広げられるのであります。

この路線は、発車ベルが鳴り終わり、ドアが閉まり始めてからが勝負である。ドアが動き始めると、それぞれのドアあたり優に3メートル以上の列をなす人々が、一斉に車両とは反対側を向く。そしてまた一斉に、尻側から車両になだれ込むのである。これと同等の迫力を感じさせるものは、明大ラグビー部のスクラムしか思いつかない(しかも逆向き)。
そして閉まり始めたドアを、各人がテコの支点代わりに使う。ドアは人圧で全く閉まり切る気配はない。それでも少しずつ狭まるドアを、うまく体を押し込むツールとして利用し、自らを押し入れるのである。職人技である。通勤職人。

不思議なのは、車両中央部分に奇妙な沈黙の空間が存在することである。パスカルの法則に従うならば、中央部もひとしなみに苦痛を共有しなければならないはずだが、これは出入口を志向する人間の本能が応力のモメントを偏在させるためであろう。

とはいっても、当路線はおそらく、銀河系内で現在最も非道な輸送機関である。
今後、日本がどこかの国に占領され、人々が貨物車にすし詰めになって強制収容所へ移送させられる事態に至っても、埼京線沿線住民だけは力強く生き抜くことだろう。某国に宣戦布告されたら、この通勤風景をヴィデオに撮って送りつけてやるといい。敵は日本民族の底知れぬ力に戦慄し、しっぽを巻いて逃げ出すに違いないのである。