迷宮行

10年以上前、私はなんだか使えない営業社員で、ぼんやりしながら本を売り歩いたりして、うろうろしていたのであった。今もぼんやりとうろうろはそのままだが、本は売ってない。

うろうろしながら、気がついたら新潟県に入っていたことがあった。書店やら図書館やらを回るのである。わけもわからず、当てずっぽうに山深い秋山郷というところまで入っていったこともあったが、実にバカな話で、野ウサギやイノシシの方が人間よりも多いというのである。無知というのは恐ろしい。江戸時代、鈴木牧之の書いた『北越雪譜』という有名な辺境レポートの舞台になったというのは、その山里に入って初めて知ったのであった。

山里の雑貨屋のおばさんに小千谷市まで抜ける近道を教えてもらって、ボロ車を転がしていると、つげ義春の漫画の主人公にでもなったような気分になる。対向車もなく、低くたれ込めた雲からは、ぽつぽつ雨が落ち始める。午後も早いというのに、山の中は早々とと夜に向かう支度を始めたような寒々しさである。秋も深い時期だったから、峠のあたりは雪になりそうな勢いだ。

転げ落ちるように小千谷の町に入ると、本降りになった。午後も遅く、暗い町は死んだように静かで、商店街のアーケードの下もほの暗い。開いている店にもまるで人影がない。時折思い出したように、目の前を小さな車が走り去る。雨はしんしんと冷たく、行き暮れた私は、しかたなく図書館を目指した。

地図を見ながら細い横丁に入ると、すぐに図書館に行き着いた。果たしてこの建物を図書館と呼ぶべきなのかどうか、なんとも頼りない建物だったが、車の中から透かして見ると、薄暗い蛍光灯の下に人影が見えるので、とりあえず安心して入口へ向かった。

──のであったが、入ってみると、小さな貸し出しカウンターには、誰もいない。奧の事務所のようなところに人の気配があるので声をかけたが、漏れてくる声は、どうもラジオのようだった。もとより館内には誰もいない。見回すと、埃をかぶったような書棚に、古ぼけた児童書などが並んでいる。考えてみれば、寒い雨の平日の午後、このような田舎町で、だれが図書館に用があるだろう。私はもう完全に負け犬気分で、棚の間をぶらぶら歩き、目の前にあった小さな階段を、コツコツと足音を響かせて二階へ上がっていった。

二階には小ぶりのドアがあり、古風な真鍮のドアノブがついていた。廻すとキリキリと音を立て、階段に響いた。

ドアを開けると、別世界が広がっていた。

壁一面に、天井まである書棚のなか、革表紙の洋書がびっしり詰まっている。美しい装幀のものが多い。大判のものは美術書だろう。金文字で背に飾り文字が打ち込んである。ラテン語のものもある。私に読みとれる英語のものでは、シェイクスピアやチョーサー、ミルトン、コールリッジなどクラッシックな文学書が中心である。どれも、見たこともないような壮麗な装幀が施してある。

私はますます暗くなるその部屋の中で、貧血を起こしそうになった。ここはどこなのか。まるでボルヘスの小説の登場人物ではないか。入ってきたドアを戻ったら、どこか見知らぬ中世の修道院だったりしたらどうする。

しかし私は、動転したあまりに、ひとつ見落としていたことに気づいた。本の前には、木製のガラス戸がしつらえてあるのである。ようやく私は、壁一面の書棚の本が、あたかも書棚のように再現された展示物であることに気づいたのである。急いで辺りを見回すと、先ほど入ってきた入口近くに、小さなプレートが打ち付けてあるのが目に入った。

そのプレートには、ここにある書籍すべてが、西脇順三郎の寄贈になると表記してあった。彼の遺言で、蔵書すべてを、生誕の地小千谷に寄贈することとなった旨が簡潔に記してあった。
ふり返ってもう一度壮麗な本と対峙していると、あちこちの本の間から、ゆっくり静かに思考の滴のようなものが浸み出してくるように思えた。自分は、詩人の脳の中にいるのだなあと思いながら、しばらく、棚の前をぐるぐると、歩き回った。

ふと夢想から醒めると、あたたかい晴天の元、世田谷文学館というモダンで新しい建物の中にいる私を発見する。今日は西脇順三郎展に来ている。よくまとめられた展示だ。私がいつも散歩している多摩川べりを、彼も散歩していたようだ。彼が多くの絵を遺していたのも、今日初めて知った。彼の絵に、車だか列車だかに乗って、こちらをぼんやり見つめている妙な男の絵があった。ひょっとすると、あの日の私の姿ではなかろうかと考える。いや、実は私が西脇だったのか。どうなのか。またボルヘスになりそうなので、この辺で世田谷文学館に消える。