蔵の中

『幻影の蔵 江戸川乱歩探偵小説蔵書目録』(新保博久山前譲編、東京書籍刊)を1日読み続ける。読み続けると言うより、見続けると言った方がいいか。この本、ただの目録ではないのである。本文の他にCD-ROMが付いておりましてね、蔵書の山の蔵のなかを探索できるのです。

乱歩はこの蔵の中で深夜一人、ロウソクを立てて執筆したという話が一時流布されたことがあったが、どうもそれは作り話らしい。しかしそんな話がリアリティを持って語られた理由は、この本とCD-ROMを見るとよく分かる。
画面に映し出される保存用の自著の棚には、あの懐かしい少年探偵団シリーズがズラリと並んでいる。現代の子供達がこの猟奇的な世界に触れずに日々を過ごしているのかと思うと、まことに哀れでならない。私も御幼少のみぎり熱心に読んだ口だが、小学校高学年になるとあらかた読み尽くしてしまい、たまたま父親の書棚の上の方に並べてあった毒々しい赤い装幀の「江戸川乱歩全集」を発見、脚立を持ってきて読み始めたのが運の尽きだったような気がする。曰く人間椅子、曰く屋根裏の散歩者、曰くパノラマ島奇譚、まあ現代の目から見れば牧歌的と言ってもいようなものだが、あの日からマズイ世界に足を踏み入れたのだなあと、今にして思う。翌日登校したら、友人たちが遠い世界の住人に見えました。

かく言う私は数年前、ある一件で、この乱歩邸に足を踏み入れたことがある。玄関脇の「伝説の応接間」で、乱歩のご子息平井氏とあれこれ話をしていたら、壁際の机に乱雑に積み重ねられた冊子状の物に気付いた。ひょっとして、と思ったら、やはり『貼交年譜』の現物であった。(一部の複製版が東京創元社刊。乱歩の私的スクラップブックである。)氏が用事で席を外した間、正直に申し上げるが、私はいろいろと怪しからぬ衝動を抑えるのに必死でありました。

幻影の蔵―江戸川乱歩探偵小説蔵書目録

幻影の蔵―江戸川乱歩探偵小説蔵書目録