事件。

夜になって会社に忘れ物をしていることに気付く。間の悪い事に明日は会社へ行かない事になっているので、仕方なく出掛け、22時になって会社にたどり着く。

会社の前から建物を見上げると、日曜の夜も更け、全館真っ暗で深閑としている。弊社は伝統的に、業界には珍しく日曜はわりとキッチリ閉めるのである。合い鍵で玄関ドアを開け、手探りで廊下と階段の電気のスイッチを探し、なんだか頼りなく思える明かりを点け、そっと階段を上がる。

3階編集部のドアの前に立ち、鍵を差し込もうとして、ふとドアの磨りガラスを見て手が止まった。部屋の隅の方に、ぼんやりと明かりが見えるのである。

キタキタキター! このオフィスは昨年、泥棒に荒らされたばかりなのだ。その折事情聴取を受けた刑事の話によると、二度三度と同じオフィスが狙われるということがあるというではないか。私は一計を案じ、そっと電気を消して階下に降り、廊下の隅から携帯で編集部に電話をかけた。

案の定、出やがらねえ。私は気が小さいせいか自分の極限値に達すると見境が無くなる事があり、今回も沸騰した。意を決して、ゆっくり階段を上がった。ドアの前に立つと、一回深呼吸をする。次の瞬間、思い切りガンガンとドアを連打し、「わりァ!誰じゃあ!(註:広島弁)」と叫んだのである。逆上したわりにドアに内側から鍵がかかっているのは確認してあり、セコい計算では、ドア前に敵が来るならば、それを開ける一瞬のタイムラグに乗じてガラス越しに姿を確認し、ダッシュで逃走し、二軒隣の24時間営業レンタカー屋に駆け込むという作戦である。

ドアがぐわっと開かれ、賊はその邪悪な姿を私の目前に──現すはずだったが、しんとしている。しばし間をおいて、灯りが揺れ、震えるかぼそい声で「だっ、だ、誰ですかっ」と、しかし詰問調の尻上がり口調がドアの隙間から聞こえた。がっくり。何やってんのよおい。オレだオレ。電話出ろバカ。

K君は生まれて初めての泊まり仕事だったのである。私の顔を見てへたり込んだ。なんでもちょうど休憩中で、「新潮45」の世田谷一家殺人事件のレポートを読んでたんだそうである(笑)。そりゃ生きた心地がしなかったろう。ちゃんと電気点けてやれっつーの。