或る手帳

帰宅すると、岐阜のHさんから大層な銘酒が宅配便で届いていた。

昨年、戦時中の社会を反映するような印刷資料をぽちぽち集めた事があったのだが、それらの中に、召集された兵士の所持していた軍人手帖というものがあった。軍人勅諭やら戦陣訓やらが印刷された、粗末なものである。印刷物に時代の経済状況や文化状況がストレートに反映されるのは当然だが、この貧相な、手帖というのも憚られるような物体を見ていると、暗澹たる気分になったものである。

頁をめくると中ほどに、所持者の情報を記載する欄がある。私は個人に渡る前のものと思っていたのだが、見ると本籍と氏名が達筆で記されている。それは聞いたこともない、どこか山中の寒村を思わせるような素朴な地名だった。小学校を終え、農作業に明け暮れる彼の日々を断ち切るように投じられた召集令状を、勝手に想像する。軍服の胸のポケットにこの手帖を入れ、戦地に向かう彼の姿が見える。彼は暗い輸送船の暗い最下層で、暗い沈黙の中にいる。暴力的に均質な集団の中で、彼が何者であるかを証明するものは、胸の手帖しかない。彼の胸の鼓動とともに微かに動くこの手帖を、さらに勝手に想像する。

さて。そして私は、ごく自然に、これを本人に返そうと思い立ったのである。

それからの経緯は、ことさらに書くことは何もない。朝日新聞を動かして、先日彼の遺児を見つけることができたのである。いまその手帖は、遺児Hさんの家の神棚に上げられているらしい。父上の事については、あえて詳しく聞かなかった。ただ、お父上は農家の出ですかと尋ねたら、まあ、若い頃は山の中で杣仕事をしておりましたとのことだった。一人の若者の、戦地に赴く前の山中の日々を想いつつ、深夜、ひたすら酒に浸る。