調布詩人

もうなんだか無闇に暑い。西田書店から出たばかりの『菅原克己全詩集』を自転車の籠に投げ入れて、野川まで走る。

私は詩には全く暗くて、この詩人についても、その夫人が亡くなるまで何も知るところがなかった。彼女は一昨年、自宅の火災で煙に巻かれ、夜半に亡くなったのである。そしてその火災は、我が家からほど近くで発生したのだった。その騒動の中で、この全く詩的でない町にひっそり暮らした詩人がいたことを、知ったのである。

詩人はその火事から15年も前に、同じ家で脳梗塞のため静かに亡くなっていた。彼は地元の小さなサークルで詩作を教えたりして淡々と暮らし、77歳まで生きた。その前半生は過激である。共産党の非合法活動に従事し、袴田里見らとともに「赤旗」のプリンターとして都内各地に潜伏していたが、逮捕され、吐血して起訴猶予、以後監視付き生活。大戦前から小野十三郎小熊秀雄、長谷川七郎らと関わり詩作を始めることになる。

戦前のアナキスト詩人らとの交流という点から考えると、彼の詩は信じられないほど叙情的だ。夫人の死後、周囲のサークルの人々の手になる印刷物に掲載された彼の詩の一部を初めて読み、不思議な思いにとらわれたのである。彼の詩作はその政治的活動と何らリンクしていない。戦後も新日本文学会などとかかわり、堂々たる共産党系文学者だが、描かれるのは生活の中の些細な情景ばかりであった。

しかし野川の土手に寝転がって分厚い詩集を読んでいると、いやお前さん、私は純然たる共産主義者ですよ、という声が聞こえて来るような気もする。庶民の生活の些細な情景、たしかに共産主義的ですか。でも共産党のポスターみたいな輝く笑顔はあなたの詩のどこにも見えませんよ。マルクスという単語さえ、哀しげな小さい娘とともに登場するではありませんか。

ビールを飲んでうとうとして、野川で水遊びする子どもの歓声をBGMに詩集に戻ると、最後の方に不思議な詩を見つける。日記だから勘弁してもらって、すべて、引用しておこう。


美しい夏

国に手紙を出し、
下駄を鳴らして
野川の橋をわたった。
道ばたにクレオメの花が咲き、
小さい家々に
よく風が通り、
簾や風鈴をさげて
お父さんやお母さんが話ししていた。
こどどもいた。
ほんとにみんな倖せそうで
思わず見とれてしまうのだった。
それから薬屋に寄った。
ウイスキーが効くという話を思い出して
酒屋にも寄り、
夜になると
薬をのんで
ひとりで酒もりをした。
小さい家、
簾と風鈴、
かんざしのような花、
ほんとにこの世って
いいところだった、
と思いながら眠った。
そして、ひとりでそっと、
死ぬまで眠っているのだった。

菅原克己全詩集

菅原克己全詩集