ドモンとニッポンとヴィデオテープ

NHK仙台のディレクターY氏から、ヴィデオテープが送られてきた。以前当方も取材されたものが、先頃放映されたらしい。早速拝見。私のところで撮った絵は当然カットされているだろうと思って気楽に見ていたら、突然画面に自分が現れたのでかなり焦った。しかし一瞬にして消えたので安堵。
Y氏は「NIPPON」という雑誌が如何にして成立したのかをテレビ的に追いたかったようだが、いかんせん地方局の悲しさ(本人談)で、「東北」という枠組みから逸脱できず、土門とNIPPONの関わりという切り口しか無かったという。そのわりにはしつこく戦前の土門の足跡を追い、証言を集めている。なかなかの労作である。
ただし、「NIPPON」は良くも悪くも徹頭徹尾名取洋之助の雑誌であり、その技法と土門の写真表現の成立との関係を分析する、というには30分はあまりにも短かすぎたようである。ナビゲーターたるべき写真史家K氏もぶつ切りに登場せざるを得ず、予備知識が無いと多少わかりにくい部分があったかもしれない。

中学生の頃、土門は私にとってのアイドルで、その著『写真作法』などは熟読したものである。「カメラを構えたら、もう一歩踏み込め」なんて文言には、燃えたなあ。レンガ使って構える練習しろとか書いてあって、オマエは星一徹かよ!と今ならツッ込みどころだが、当時はマジでした。しませんでしたが。基本的に剛速球だから、なにしろ中学生にも素直に理解できるのである。カーブとかフォークとかは無い。そして同じようなフォーム(構図ですね)を真似てみて、どうしても違うのは何故かと悩んだものであるが、所詮地肩が違うのだということにあっさりと気がつくのでありました。だってもう日が落ちて真っ暗になった室生寺で、まだカメラ構えてるから弟子が写りませんよと言ったら、「気合いを入れれば写るんだ」ですから。

私はその後、すっかり軟派な写真生活を送ることになって今日に至るが、やはり最初の恋人みたいなもので、忘れ去ることはできないのである。泥臭くてかなわんと思いつつ、まだ彼の全集は手元に置いてある。土門にとって「NIPPON」は名取との桎梏もあってあまり良い思い出ではないようだが、彼がこの雑誌に仕事を得ることによって、日本の写真史はようやく戦後につながる回路を得たと私は考えている。現在、戦後日本の写真表現は新たに世界的な注目を集めつつあるが、土門拳という男がいなければ、写真によって何物かの表現が為されるという場、広い社会的了解自体が日本において成立し得たかどうか、大いに疑問である。50年代日本の社会・文化状況とその写真表現の展開は密接に関わっており、戦前の「NIPPON」での仕事は、その予兆に過ぎないという捉え方も可能だが、ネガを消尽するかのような対象への没入ぶりは誌面でも際だっており、必ずカメラの位置が被写体と正対しないショットが混じっている(覆い被さったり、下からあおったり)のは、その「熱さ」において全く戦後の表現と通底するものだろう。

Y氏の私信には、この夏東京に異動になるとあった。本局でもう一度リベンジ、全国向け企画として提案するというのだが、そうなったら完全に顔出し無しで願いたいものである。あー。