愚人の回想

緊急の書き物があって駅横のありがちなコーヒーショップに飛び込む。全く以てこういう場所でないと原稿が書けないという、まことにありがちな、因業な体質なのである。あなたのお知り合いにもいませんか。しかし私の場合多少重傷気味で、まあたとえば学生時代、テスト前日気合いを入れて勉強する時は、同時にヘッドフォンで大音量の音楽を聴いていたとか、くつろぐ時はテレビのスイッチを入れ、音を消して音楽を流し、本を開いていたとか。以前小学校時代の問題児経験を書いたかのような気がするが、どう考えてもやはり私は学習障害児のハシリじゃないか。要するに一点に集中することができないんである。いや、集中するために特殊な要件がある、というか。集中するために分裂が必要というか。

それはいいのだが、しばらくしてふと隣のテーブルを見ると、慌てて飛び込んだために気がつかなかったのだが、白いノートが置かれている。椅子では男が腕組みして眉根を寄せ、物思いに耽っている。ノートの横には本が2冊、まさしく原稿書きに煩悶している状況である。私も今更席を移るわけにもいかず、双子のような男が二人、物思いに耽る風情。これじゃタチの映画になっちまうなアと思ったが、背に腹は代えられず、猛然と書き始めると、どうもこちらを窺う風情。私が一呼吸入れると、交代するかのように猛然とノートに書き付け始めた。出来過ぎなので、向こうが書き終わる前に当方も書き始める(別に気にすることはないと思うんだが)。

茶店文化の現状というのはよくわからないが、私は喫茶店というのは専ら2階にその良さがある、と思っている。以前、別カテゴリーで「駅前純喫茶」を愛する旨を吐露したが、それはそれとして、かつて大昔、喫茶店2階の窓際に常駐していた日々があった。友人と無為な時間を過ごす時は、専ら2階から通りかかった人々を勝手にプロファイルするのである。あの女の子は静岡の短大を出て五反田のOA機器の販社に勤めてて、雑誌は「More」読んでて(当時の感じですね)、音楽はサザン・オールスターズが好きで、しかしコッソリあみん(古)も聴いてて、コッソリ営業の2年先輩の男とつきあっているが、最近妙によそよそしいので怪しいと思っていて等々愚にもつかぬ事を掛け合いで延々続け、飽きるとめぼしい他の人物に目標を変更するのである。けっこうこれは秘かな愛好者がいるらしく、今まで何人か同行の士に出会った。端的に言って、バカである。

話がバカに流れていっているのでバカついでに当時の似たような愚にもつかぬパフォーマンスの思い出を書き留めておくと、友人のアパートなどに押しかけて酒盛りの折り、皆でヴィデオを見ながら外国の連続ドラマなどにアドリブで勝手にアテレコをするというのがあった。『コンバット』など戦争物がなかなか手応えが良く、「サンダース軍曹、この周囲には一軒もトイレのある家屋がありません」「ケリー、落ち着いて良く探せ、必ずあるはずだ」「冗談じゃねえ!何がトイレだ!オレはもう立ちションするぞ!」下手から静かに少尉現れ「リトルジョン、それはジュネーブ条約違反だ」等々場面に会わせて延々続ける。これはどうもモンティ・パイソンの影響を受けていたような気がする。

今日は何を書こうとしていたのか忘れてしまった。