テレビに頽落

会社をサボって熱のある頭でテレビを見ていると、水戸黄門にまで腹が立つ。この脳天気な老人は、いつになったら幕府権力自体が内包している矛盾によって自らの直面する数々の困難が引き起こされているということに気がつくのか。延々繰り返される対症療法はまさにただの爺さんの道楽である。存在せぬ副将軍などという官名を立ち回り先で詐称するわ、幕府代官ならともかく、政治的に独立した他藩の家老などを勝手に斬り捨てるわ、やりたい放題の非道ぶりである。者共出会え、と言われて飛び出しててくる侍たちは屋敷内に侍っている者たちであるから、全て正規の藩士ではなく、足軽のような最下層の武士ですらなく、中間・手代・小者の類、つまり私兵である。死んだところで藩から家名存続の沙汰があるわけでもない。武士層にとっては武器と同様の消耗品なのである。であるから、あの男にとっては、「構いません、やってしまいなさい」という軽い言葉で殺戮の対象となるのである。助サン格サンも大袈裟に峰打ちの体勢を取って、殺さぬポーズを構える時があるが、どう考えたって相手を油断させる戦法だろう。多勢に対して打つだけでは防御不能だから、いずれは突く。突きに峰打ちなどあるはずもない。兵士たちは事情も知らず、不審者を排除せよとの正当な命令のもと死んでゆく。もうこの上はナンシー関が遺言したように、えなりかずきが二代目うっかり八兵衛を襲名するのを座して待つよりないのか。この物語は。