本日飯田橋にてお好み焼きを食して突如甦る記憶

同級生のU君が、4トロ(新左翼セクト「第4インター」の通称)の機関誌を教室に持ってきて昼休みに見せびらかしていたので、ネタの張り合いに敗れるのが口惜しく、放課後さっそく広島大学横にあるウニタ書店に自転車を走らせた。

左翼関係書籍が溢れる雑然とした店内には、中核や革マルの機関紙などが当然置いてあるにはあったが、いずれもヨントロの機関誌に見られるような口絵写真グラビアをむりやりなザラザラの2色刷りで構成するといった奔放さに欠け、「○○○○(人名)を完全殲滅!」などと大見出しに謳うわりには良く読むとアパートの前で殴って逃げただけだったりで、ショボイのだった。どうもいかん。

うろうろと店内を漁っていると、『続腹腹時計』なる小冊子を見つけ、これだ!と達成感。前編の『腹腹時計』は、一連の爆弾事件を引き起こした「東アジア反日武装戦線"狼"」グループが発行した爆弾闘争ノウハウ集(製造法付き)であり、堂々たる非合法文書だ。その続編ならばなかなか得点高いではないか。喜々として立ち読みを開始したが、どうも何処かのセクト発行のようではあるものの、内容は非合法性の薄いアジテイション集に過ぎないようである。看板に偽りありってやつだ。しかし見たところ最後の1冊だなあ。一瞬考えたが、背に腹は代えられぬと思い、レジに直行する。

レジの髭オヤジは、値段を打って品を渡すと、ふと顔を上げて私を見、「君、S高生?」と訊く。何でわかんのかなと思いながら頷くと、笑いながら、だろうなあ、と呟く。何じゃろうか。まあええわ。

学校近くのお好み焼屋(註1)に自転車を走らせると、幸いUの姿があった。さりげなく「肉玉ソバW」(註2)を注文し、教科書を一度も入れたことのない鞄から先程仕入れたブツを取り出して、読み始める。早速Uが餌にかかり、近寄ってくる。おいオモロイもん手に入れたノー。貸してくれえや。私は勝ち誇り、貸してやらんでもないがノー。極秘文書なんでノー。エラソーである。

Uは自転車が壊れたとのことで、満腹高校生は二人乗りで町中に向け走り出した。荷台に立っているUが身をかがめ、耳元で、オーイ中核んトコ通って行こうや、と叫ぶ。私は頷いて大通りを右に折れ、広大の横の路地を爆走する。左手に、中核派の根城の要塞化した学生寮が見えてくる。屋上を見ると、今日も城の物見のサムライよろしく、ヘルメット姿、タオルマスクの男が一人、ゲバ棒を片手に前面の道路を見つめていた。おるおる、とUが嬉しそうに言うのが風の音に乗って聞こえる。

自転車二人組はクスクス笑いながら物見の目の前に来ると、タイミングを合わせ、森厳なる表情で彼を見上げ、ビシッと敬礼した。視線を外さず、観閲式でスターリンに敬礼する戦車部隊員のように。物見の男は無表情にこちらを見つめている。その姿勢のまま角を曲がると、Uが吹き出した。つられて笑っていると、ちょうどウニタ書店の前を通りかかる。そういえば我が高校も、十年ぐらい前は学園紛争で大騒動だったんだ。それが今では、我らのネタである。時は無情なり。

──という感懐を感じた日々を懐かしみ、去年帰省した折には、広島大学あたりを徘徊してみたが、校舎は全て移転し、大きな計画道路が通って町の様相は一変していた。まあよくあることだ。ウニタ書店が存在したと思われる地点さえ、全く分からない。中核派の城も消えた。連中どうしてるだろうか。まだどこかで、見張り台からずっと、あたりを睥睨してるんだろうか。ものわかりのいいオッサンなんかになってたらいやだな。時は無情なり。

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註1.広島市内居住の標準的な十代男子においては、身体組織組成の25〜35%(重量比)がお好み焼で占められている(Takenaka,1979)。
註2.お好み焼の標準型は、豚肉とソバ玉を2個(=W、ダブル)入れ、表面を卵で封ずる「肉玉ソバW」である。肉がイカに代替されたり、ソバが饂飩に代替されたりする変型は存在するが、オーソライズされたものではない。なお、表面に紅生姜を散布する行為に関する歴史的言説の変化については、安助亮「都市の食文化と偏在するアイデンティティー──広島型お好み焼成立要件における紅生姜の位置」(『論集・文化としての広島型お好み焼』所収、2003・武蔵野人文資源研究所)を、最後にマヨネーズをかける行為の生成については、貴船狩真「『雑食』の洗練──調味料とは何か」(同)参照のこと。