盂蘭盆会in山嶺

終戦記念日、なぜか日本三景厳島神社の背景に聳える宮島随一の霊山、弥山の山頂で呆然としているわけだが、盆も盛りだというのに寒風吹き荒れ、人影もない午後5時半である。荒涼たるものである。

正確に言うと、山頂から数十メートル下にある小振りな平坦地にいる。もっと正確に言うなら、狭い暗がりの中で煙に燻されている。私の周囲は、長年蓄積された煤で真っ黒だ。その黒色を背景に、蝋燭の炎が数本、妖しげに揺らめいているのみ。

煙は、この煤ぼけた小堂──そう、私は山頂近くに建つ小寺院の中に潜んでいるのだ──の中心に設置された炉から発している。炉には茶釜が、いや、かつて茶釜だった、妖怪のような物体がつり下げられて、炉の宗教的な意味をなんだか曖昧にしている。この炉の火は、1200年間消えたことのない聖火なのだそうな。ここは、弘法大師が虚空蔵求聞持法という秘法を修したという霊跡なのである。その時以来、この炉の火は一日たりとも消えたことがないのである。倒れかけた看板を信じるならば。

しかし、誰もいない。火の元の管理はどうなっているのか。堂内の、煤で黒光りする不動明王像が真っ直ぐに私を睨みつけている。なるほど、そんな失火はありえませんか。炉の灰をなんとなくいじっていると、どうやら千年以上前にも、こうやってここで火の番をしていたような気がしてくる。成程。誰もいないんじゃなくて、私が、いるわけか。私は百日間百万遍真言を唱え続ける求聞持法の修法に失敗し、ここの堂守に堕とされたんだった。と、ついなんとなく思い出してしまう。