もだえる鰐

アートンから『踊りたいけど踊れない』(寺山修司著・宇野亜喜良絵)が出て、あまりに唐突だったので、吃驚して購入。頭の片隅から離れることのなかった記憶と再会する。
ミズエは1と書くつもりだったが、手は2と書いてしまう。ヴァイオリンのお稽古のとき、ブルーノの練習曲をひくつもりが、手は「もだえる鰐」をひいてしまう。バラ園に行こうとすると、足は勝手に占い婆さんのところへ。婆さんは、「はやく心を打ちあけないと、好きな子がほかの子にとられてしまうよ」──心を打ちあけるのには、どんな方法があるのかわからない。かわいそうに、そのうちミズエは、自分の体のなかに閉じ込められてしまう。

そんな風な、短いお話である。

この話を読んだ高校生の頃の自分は、寺山の女性に対する美しい幻想に激しく共感したように思う。もうかすかな記憶に過ぎないが、女性の女性性(?)そのものに戦慄する日々を過ごしていた時期ではなかったか。いま開いてみたページに、「女の体は お城です」と、書いてある。このあからさまな女性崇拝の背景には、母性崇拝があるのだろう。おそらく。

宇野亜喜良の絵は今回新たに付されたもののようだが、まことにすばらしい。美しい。氏とは一度だけ電話で短い会話を交わしたことがあるが、幽玄なしゃがれ声が印象的だった。まぎれもなく、芸術家の声だった。というよりは、芸術家は、こういう声を出さねばならぬ、と勝手に私が思い込んでしまうような、玄妙な声であった。

踊りたいけど踊れない

踊りたいけど踊れない