記憶との再会

夕刻、駆け込んだファミレスで、一人淡々と食事する小学四年生ぐらいの少年に出会う。毅然とした態度で、背筋を伸ばし、ゆっくりナイフとフォークを使っている。物悲しい。その風情から、もはやそれが毎度のことであると窺える。

郊外の住宅地の夕刻であるから、周囲はカップルやら家族連れやらなんやかやの集団で喧騒を極め、灰神楽が立つような騒ぎである。私と彼のみが、間に幾ばくかの空間を置いて、周囲に背を向けるように平行になって皿に向かっている。

ちらちらと彼の方を窺いながら、私は旨くも不味くもない、料理みたいな何かを義務的に嚥下する。君の食べているものは、一人で食べた、何品めのメニューなのかな。君はたぶん、夕方になると食事をしなければならないという義務感でここに来てるんだろう。食べたいものなんか、何もないんじゃないか。

後方の席で赤ん坊がひっくり返り、そのテーブルがひとしきり騒がしくなる。彼もゆっくり振り返り、じっとその一家の騒ぎを見つめていたが、またゆっくりと向き直って皿に向かう。瞬間、顔を正面から見ることになった。理知的な、静かな目をしている。

遥かな昔、事情あって母親が不在の時期、夕刻になると飲んべえの父親に連れられ、よく飲み屋街に放り出されたことがあったが、ちょうどこの少年と同じような年頃だったろう。父親は酔っぱらってそのまま消えてしまう事しばしばで、のんびりした時代だったとはいえ、実にどうも無責任至極である。当時ファミレスなどという至便な施設があったら、私もこのような風情で過ごせただろうか。いや私だったら、おそらくこんな場所では、卑屈な目と鬱屈した態度で、世界を拒絶するかの如くふるまい続けただろう。こんな家族の幸福が撒き散らされるような場所で一人で! なんとなく当時の感情が蘇ってくるような予感に襲われ、他のことを考える。縄文土器の編年形式の革新について。「ののちゃん」のオカルト化について。等々。

ふと気付くと、彼が食事を終え、先に出ていく。君の親はおそらく非常識きわまりない人物だと思うが、まあ堂々と生きていきたまえ。君には何の落ち度もないわけだから。後ろ姿に語りかけながら、自分の内なる小学四年生は、毅然たる彼の姿を羨望のまなざしで見送る。