さらに失う

余計なことかも知れないが、ニューヨーク・タイムズのサイード追悼記事の最初の版と現在webにのっかっているのを何の気なしに見比べていたら、いくつか異同があることに気付いた。最初の版にあった、彼が「ユダヤ防衛同盟」のテロ対象リストに上げられていたという話が、きれいサッパリ削除されている。その他経歴のごまかしを指摘したイスラエル人学者の発言も微妙に変更されている。アメリカにおけるユダヤ勢力のメディア監視もなかなかキツイものがあるのだ。この秘やかな改変に、アメリカ国内で誰か気付いただろうか。

ところでサイードに続き、夢路いとし師匠が亡くなった。残念である。私にはその芸風に戦前の関西モダニズムの残り香がどことなく漂うように思えてならなかったのだ。関西風のお笑いというと、どうもひたすら騒がしいもののように思われがちだが、旧分国で表現するならそのような河内・和泉風の笑いではなく、摂津風のもの、船場あたりに漂う上品さを反映したもの、阪神間モダニズムが遠く反響したもの──そのようなものとして師匠の漫才を観ていたのである。これが如何に貴重かというと、戦前の浅草モダニズムを基調とした東京漫才が痕跡すら残っていないのを考えれば、失ったものの大きさを分かっていただけるだろう。分っかるかな〜、分っかんねえだろうな〜(泣)