「大道」とは禅語からとられたそうです。

森山大道──光の狩人」展観覧のため川崎市民ミュージアムまで赴く。

日本における写真表現が一直線にミニマルなものに傾斜していくのと歩調を合わせるように、彼の存在感が増していったのが、この十年間だったように思うんですが、いかがでしょうか。
もはや大状況に対して(ex.芸術とか文化とか)写真家が影響を与えるような時代ではないようだが、しかしいつのまにこのようなザマになったのか? ……私なりの結論は、この「芸術」が、中途半端なテクノロジー依存によるものだから、というなんとも素朴なものである。メディアの拡散状況が必然的に視覚表現全般のインフレを招いたことは素人目にも明らかである。

そして、彼の80〜90年代の不調あるいは模索は、その状況を先取りしたものだったように思われる。ヒステリック・グラマーからの作品集刊行は、言ってみれば70年代的なものをゆるい状況に投げ入れることによって、結局彼の本質的な表現力を際だたせる結果となった。つまりその「模索」は再評価までのタイムラグに過ぎず、黙って寝ていてもよかったのである。そしてその「模索」の時期は、写真表現というものがゆっくりと変質し、メルトダウンしてゆく時間帯であった。と断言すると怒る人もいるだろうが、客観的にはこう断ずるしかない。

大状況が消えたあとは、個々の高峰が残るだけだ。それもいいでしょう。
今回彼のプリント群を初めて実見して感じたことは、一部の印画の意外なまでの美麗さである。「ブレ・ボケ」一派と呼ばれて粒子の粗い表現が特徴とされるが、印画は繊細になされているように感じた。ブレボケが繊細に表現されているのである。腰の低い無頼派である。先日青山B.C.で拝見したその温容の印象は、エキセントリックな作品群を見ても変わらなかった。

帰途、図録に収録された年譜を読んでいると、彼が私の父の高校の後輩であり、あまり遠くない時期に父親と同じような放校騒ぎを起こしているのを知る。いくらなんでもこりゃ爆笑ものである。

写真よさようなら

写真よさようなら