どうよ自分、とキムタクは言った

BSデジタルハイビジョンの「松田聖子カウントダウンライブ」など見て新年を迎えたりしている私である(しかも結構楽しんで)。

もはやエグみしか残存していないようにも見える彼女にも、共に春秋を過ごしてきた年月を考えれば、ある程度の思い入れを自らに許容するのであった。しかしあの年になってバラエティーにも行かず、イタい「女優」も名乗らず、危ういバランスでシンガーとして現役感を漂わせているのには、そのシミ一つない(金のかかっている)剥き出しの背中共々、感心せざるを得ない。このまま行けば美空ひばりになるのであろう。

などと年々歳々、如何にもどうでもよい事しか考えていない正月になりつつある昨今。一族郎党引き連れて帰郷するのは義務なのか何なのか。どうも熟考するに、やはりテレビ見に帰ってるんではないか(笑)。今もBSデジタルで「四人囃子VSスモーキー・メディスン」を食い入るように見ていたところであった。この二つのバンドが活躍していた頃は私などほんのコドモに過ぎなかったが、こうして再結成された演奏を聞いていると、70年代というのは80年代よりも「ロック的に」豊かである。それは例えばスモーキー・メディスンというバンドがCharと金子マリという天才系ミュージシャンを擁していたにもかかわらず1枚のレコードも出す事ができなかったという事実に反語的に証明されているように、ロックミュージックが全く音楽ビジネス及びコマーシャリズムの枠外にあったからであり、ロックをやる連中は何ら日本的マーケットを意識せずひたすら音楽的純度を高める行為に集中していればよかったのであった。
そういった意味では70年代のロックというのは選民意識の強い音楽ジャンルであったかもしれない。70年代の終末期にパンク・ムーヴメントがイギリスで発生した頃はまことに風俗の(しかも仕組まれた)香りしか漂わず、当時ご多分に漏れず自意識過剰少年であった私などかなりケーカイしたものである。

ここから話は大展開して、ニュー・ウェーヴ話になるのであるが、正月早々ナンなので略。ところで本日のNHK-FM「英国New Waveへの招待」はゲストが中原昌也氏であったが、終了後「オマエさっきNHK出とらんかったか(笑)」というメールが何通か来た。ワシもそう思うた(笑)。