歳月と

慌ただしく実家を立つ正月明けの玄関先で、靴箱の上に置かれた鏡餅を眺めていた父親がふと思いついたように顔を上げ、そうじゃ、あと2年ぐらいで会社を閉めることにしたで、と言い残し、言い残したと思ったらもう定位置の炬燵へ戻っていった。

もう表にはタクシーが待っている。私は虚を突かれた思いで、なるほど、と一声残して、慌ただしく階段を降りた。
タクシーの窓から、会社と住居の入った4階建ての建物を眺める。

気がつけば、もう築30年になろうとしているのである。改めて眺めてみると、外壁には細かなひびが多く入って、窓枠のアルミは黒ずみ、ファサードの張り出しには小さな崩落さえある。

建築現場に侵入し、様々な悪戯をなした事を思い出す。
鉄筋の型枠に生コンを流し入れる直前、人に見せられぬ阿呆な物語やら変な絵やら書き付けた束をズタズタに引き破り、型枠の中に投げ入れた。柱の強度に問題があるとしたら、私のせいに違いない。子どもはとんでもないことをやる。竣工時から、まあ私にとって、呪われた建物だったというわけだ。

建物も老い、当然人も老いる。私がこの建物に住んでいた頃、父親は夜中になっても歓楽の巷を彷徨い全く帰ってこなかったが、今では日がな寝てばかりのようだ。もうこんな老人には、会社経営など煩わしいだけなのだろう。というより、この人には最初から、会社経営など煩わしいだけだったのだ。かつてその事実に気づいた少年の私にとって、それは唾棄すべき惰弱と思えたが、今にして彼のその気分は、痛切に、理解できる。

夕闇の中を飛び立った機上で、父親の書棚から盗んできた『大和路散歩ベスト10』(新潮社)を読む。30年近く続けてきたこの盗癖も、そろそろ年貢の納め時か。

本の中の地図に、日頃の怠惰ぶりからは想像できぬほどの情熱を込め、精緻にマーカーで色分けして線が引いてある。自分がまぎれもなく、かつて全力で否定した人物の子であることをまたも思い知らされ、深く吐息をつく。