此岸過迄

風景が一点に、遠近法を強調するように消失点に向け消えていくような場面に遭遇すると、どうしてもカメラのシャッターを切ってしまうと云った人がいた。わかるような気がする。

日本国における日常生活で、そのようなスケールの場に身を置くことはあまりない。だから偶々そんな場所に自分一人立っていたりすると、自分の存在が天地の間で卑小に強調され、ある種のメランコリーを誘う。

日本国とは限らないか。例のムンクの『叫び』ってのはそれか。

……などと。目前の難題とは全く別のことを考えている。目前の難題は私の真向かいで渋面を作ってイライラしている。

「どうもあれですね、女性というのは突然変貌しますなァ」
「はあー」

自分の声が必要以上に間抜けで焦るが、フォローせず。投げやりな気分になり、それでは写真は次の機会にと言い捨て、渋面を崩さぬままで唖然とした表情の難題氏を置き捨てたまま離脱。

消失点に向け歩く。

他人に迷惑をかけて気分を晴らそうと、歩きながら各方面に脅迫メールを乱れ打ちする。ああ気持ちが良いことよ。
しかし数刻後あえなくも気力萎え、いまどき貴重なスタンダードな喫茶店にしけこみ、『大和路散歩ベスト10』を読み継ぐ。

高校の修学旅行で歩いた道が載っている。
修学旅行は放し飼い方式で行われ、なおかつ私服だったために逸脱行動を取るものが相次ぎ、スーツ姿で現れたあるグループなどは駅頭での開始の号令と共にタクシー飛び乗りキャバレー直行、その赫々たる戦果はわれら健全なる青少年の心胆を寒からしめるものがあった、のだった。

かく言う我がグループは酔狂にも私に全権を委任してしまったため、「京都西山・中世マイナー物語文芸を巡る山中放浪ツアー」などにトッポイ連中をつき合わせてしまって、笑える事態となった。気合い入れてめかし込んだ原色の軟派男子高校生が、登山ウエアのオバサンと山道で鉢合わせて目を白黒させてしまったりで。

不思議だったのは、歴史も文芸も全く縁のない、グループ内唯一の硬派系不良F君が、一言も文句を言わず黙々と歩いたことだった。

本の中の、「山の辺の道」の地図を指で辿る。そうだ、ここだ。
何日目だったか、またも延々この道を行軍していたとき、さすがにメンバーの一人が弱音を吐いたのだった。その男に限らず、既に厭戦ムードは我が軟派小隊の頭上を暗く覆っていた。机上の空論で無理な攻撃路の設定をした私は我慢できず、思わずふり返り、あとちょっとで進撃中止、京都へ帰ろう、とお為ごかしを言いそうになった刹那、最後尾のFが押し殺したような声で、黙って歩けやッ、と吐き捨てた。私は話の接ぎ穂を失い、そのまま180度ターンして、再度無言で先頭を歩き始めた。Fが後続のどこかの学生たちに、わりゃ、ついて来ンなッ、と怒鳴っているのが聞こえた。要所要所で右前方500メートルに景行天皇陵発見! などと案内しても、Fはやはり無関心に足元を見つめている。私は次第に足早になり、2、3の攻撃予定地点を故意に放棄した。後半、薄暮の中、我が小隊はもはや行軍だけが目的のさまよえる集団と化し、規律は失われ、私は指揮官としての無能さを天下に露呈することとなったのである。しかしそんな戦艦ポチョムキン祭り状態にあって、Fは不思議にも、いつもの通学路を歩くような、普通に周囲に無関心な顔をしていた。目的地の天理駅へ向かう最後の道で、大騒ぎする軟派小隊の夕闇にまぎれたシルエットは、メランコリーに縁もなく、確かに消失点に向かう線上で踊っていたように記憶している。

何の話でしたか。本の話だった。ええと、葛城の道を歩いて鴨神に出会った話は、と。それはまた書こう。

そうだ、卒業後しばらくして故郷の結婚式で久々にFと再会した私は、雑談のなかで修学旅行の事を思い出し、憶えてるかい、と話しかけてみた。彼はちょっと笑って、ありゃ楽しかったノウ、と言ったのだった。