山紀行

雲ヶ畑というのは幻のような地名である──と言ったところで京都全体が人の住むのも疑われるような儚い地名で満ちているわけだが、とりわけ仙人の夢想じみた名を付されたこの地はやはり洛北の山中にあって、いま私の目前には、慎ましく杣仕事を生業としているのであろうその寒村の風景が、寂しく谷沿いに延びている。

「ようこそ雲ヶ畑へ」と子どもの手で書かれたポスターが、道の向こうに見える分校の壁で揺れている。モルタルの壁は黒い染みでほとんどアートの様相を呈して、かなり四季の気象の変化が厳しいことがここにも見てとれる。子どもの声はない。人の声自体がない。早朝の寒気で周囲は張りつめている。山に挟まれ、空は狭く、家々の軒下は暗い。意味もなく車を停めた道端から周囲を睥睨すると、こんな所にも自販機だけは遍く鎮座しており、ありがたく缶コーヒーを購入。ゴトン、という音が響き、また寂しさを強調する。

里を取り囲む周辺の山は一面の雪である。市内は雪のかけらもなかったが、ここはほとんど北国である。幸い道路上はほぼ融けきっており、用心しながら車を先に進ませる。

里の中心を外れてしばらく行くと、充分細かった道が分岐し、さらに細い急坂が左手に見えた。I山S院──目的地の寺を示した小さな手書きの看板がさりげなく道端に掛かっている。分岐点から車を乗り入れると、雪を掻き分けて山を登るような格好になる。ノーマルタイヤで躊躇したが、例の如くえーい登っちまえ、という事である。登るにつれ急激な勢いで雪が増える。道はうねうねと尾根を巡る。脂汗が浮かびかけたころ、遠くに簡素な山門が見えた。

道は山門前で行き止まりである。山門への階段は、雪が掻かれていなかった。このような日にこんな所を訪う馬鹿者もいないだろう。車を置き、ゆっくり上って、階段の真ん中あたりでまたふと門を見上げると、目の前の門から老女が見下ろしている。いつのまに現れたのか、全く音もなく、驚いてしまいアウアウとなる。お参りさせていただきたいのですが、と辛うじて冷静に言うと、無表情に、どうぞ、と返事が返ってくる。車を見て、どちらから、と儀礼的な雰囲気で問いかける。東京からです。いや仕事でしてね、午前中少し空いたモンですから等々、言わいでもの事を追加する。それは遠いところから──雪に驚かれたでしょう──まあこの時期にしては少ない方なのですけど──足元お気をつけ下さい──と、老女は言葉を継いだ。

雪を踏み、山肌に貼り付いたような本堂に向かう。ふと、老女に全く訛がなく、奇妙に正確な標準語であった事に気づき、なぜか、背筋がぞっとする。ふり返るともう寺坊に戻ったのか、姿はない。再び山を見上げると、本堂を飾る色あせた幡がぱたぱたと、風に揺れている。風は次第に強くなってゆく。促されるように、坂道を登る。

昨夜も雪があったのか、階段に残された足跡の中にも新しく雪が積もっている。足跡の中から風に吹かれて、さらさらと飛んでゆく。むかし何かの映画で見た、人間が一瞬にして砂になり、消え去った後のような印象である。その足跡をぎゅっと踏みつけながら、一歩一歩登ってゆく。

なんとか滑ることなく到達した本堂の縁に上がり、奇妙なものを見る。
縁の左側にある参詣者用の灯明台の棚に、点けられたばかりの新しい蝋燭が一本、刺されているのだ。


ここに登って来た私の前に、新しい足跡はひとつも、なかったのである。


蝋燭の火は、ゆらぎもせずにあかあかと点っている。考えても仕方がないよ、と、あざ笑っているようにも思える。
私は前日会ったある大学教授の、あの山にはね、京都中の魑魅魍魎が封じられているんですよという言葉を反芻せざるを得なかった。

台の横に積んである蝋燭を一本取り、賽銭を投げ入れ、点された蝋燭から火を移す。棚に刺すと、私はたまらず縁から飛び降り、山門まで駆け下りた。不思議に、滑ることはなかった。

山門から本堂を眺め透かすと、小さく点のように、二つの光が見えた。どうも封じられてしまった私自身の分身が、恨み深く、逃げてゆく私を見つめているかの如くだ。後も見ず車に飛び乗り、注意深く山を下りる。暗黒なものを、この山に残していくことになるのだろう。