組版論

InDesignとQuarkExpressの設計思想の相違は、編集者からみればネイティブのワープロにあるような原稿用紙的発想があるかどうかという点に尽きるが、DTP技術を発展させデファクトスタンダードになっていたQuarkが、結局伝統的な日本語組版の思想を破壊してしまった功罪という点については、今後論議が別れていくであろう。
米国製のQuarkは当然ウイリアム・モリスのマージン比率ではないが、結局枠組みから入るという西欧伝統の発想で組み立てられている。版面が書物のどこの辺りに配置されるかが、さしあたっての問題なのだ。とりあえず文章を流し込む木枠が欲しいという考え方である。外枠が優先であるから、字詰めは自由自在(とは言い過ぎだろうが)に圧搾される。文字のマトリックスを形成させる技術的、美学的視点は存在しない。これは案外、西欧的思考法の原型と通底するのかもしれない。ひるがえって従来の日本語組版の発想法は、あくまで字詰めと行間距離を決めるのが先行する。要は「部分」の美学が「全体」に先行するのである。全体は、決定された部分に奉仕する形で切り取られ、位置を与えられる。私のような古狸にはQuarkの持つ粗雑さ、それは単に文化的位相を変えてみれば当然の合理性に過ぎないのだが、それが耐えられないのである。
ところで冒頭に述べたように、InDesignには後走者のアドヴァンテージで、元は米国製にもかかわらず、現場に通奏低音のように流れるそのような不満を巧妙にすくい上げた仕組みが取り入れられている。1頁何字×何行詰めという指定が可能なのである。もちろん現在までEDIcolorなどそれに対応した国産組版DTPアプリは存在したが、逆に言うとその一点しか有利な点がなく、それだけの売りでは「一点突破全面展開」にはほど遠かった。その点を汲み取りつつ、さらに十全に他のAdobeアプリとの連携に配慮したInDesignに現場は雪崩をうつか、と思いきや、なかなか微妙なものがある。Quarkの操作の簡明性、軽快性が、なかなか人々を解放しないのである。私は実際操作する立場にないが、その辺りは見てとれる。

と、いうようなことを神保町の妖怪装丁家セノー氏事務所で仕事もせず語る。
あと、Quarkはルビに冷淡だよね。とセノー氏は言う。記述した文字をさらに説明するという同義反復が西欧人に理解できるわけがないではないか。Quark開発陣にとって、日本人は知恵遅れに見えるんではないだろうか。きっと。それを考えるとInDesignの猫なで声のルビ機能は武器商人臭いなどと、勝手なことを言って盛り上がる。私は全然使えませんが。