記憶と

S社の「小説S」増刊、警察小説の特集号のためにある便宜を図ったら、K副編から当該号が送られてきたので、読み耽る。「ちらりとしか紹介できずに恐縮」とのことだったが、まあこんなもんだろう。

ミステリを読む機会が滅多にないから、当代売れっ子の短編レベルはこういうものか、と、感心しながら眺める。上手いもんです。警察小説には当然ながら海外も含め長い伝統があるわけだが、その時代特有の組織と社会の軋轢が絶えずテーマになるわけで、この特集号もざらついた読後感のものが多い。しかしかつての社会派ミステリほど陰鬱ではないが。もうあれほどの重みに、エンタテインメントという器自体が耐えられないのだろう。

当然なかには、警察機構におけるいわゆるキャリアとノンキャリアの葛藤などがテーマとなる作品もある。
途端に読み進めるのが辛くなるのは、単純に、個人的なある記憶のせいである。

例によって古い話だが、私には、警視庁にキャリアとして入庁した知人がいた。高校の同級生である。

当然ながら、在学時から優秀な人物だった。しかし、芸を持つことが尊ばれたその高校では、とりたてて注目される男ではなかった。ただおとなしく、人の良い、穏やかな人物だった。エキセントリックな級友たちが日々怒鳴り合いの滅茶苦茶パフォーマンスを繰り広げるなか、彼はその騒ぎを興味深そうに、いつも楽しげにニコニコと眺めていた。
そのうちに彼の名を、特にあだ名として「──さん」と呼ぶ習慣が出来上がった。荒事を繰り返す級友たちも、「──さんにはきついなあ、今日は教室に居てもらおう」「こりゃあちょっと、──さんにゃいなかった、見なかったことにしてもらおう」等々、ほとんどその存在を忘れつつも、日々の行動の際には、疵がつかぬよう、大事に扱った。

悪戯心で、クラスの悪者が、彼のロッカーに大量のエロ本を詰め込んだ事がある。昼休みに彼が開けたとたん、洪水のように流れ出し、有り得ない取り合わせがクラス中の爆笑を買った。彼も笑っていたが、その中から洋物を選び出し、注意深く検分し始めた。そのうちに私の前に立ち、これ、**君でしょう、と問いかけた。以前にも書いたが、米軍基地ルート物である。いやー、そうなんだよね、と答えると、すごいねすごいね、米兵と交渉するの、すごいねえと繰り返した。明らかにそのすごいねは無修正エロ本にかかる表現ではなく、「交渉」にかかっていて、エロ本を手にしたまま生真面目にその実態を問いただす彼に閉口する私を、悪ガキたちは指さしてクスクス笑うのだった。

体育祭で恒例の演劇的パフォーマンスでは、音響と文芸担当の私も一枚噛んで彼を掃除のおじさん役に仕立て上げ、そのギャップも校内的に笑いを誘った。──さんの扱いとしては如何なものかという向きもあったが、彼自身は率先して作業着を着込み、自ら工夫してタオルを首に巻き、箒を担いで喜々としてグラウンドを駆け回ったのである。

大学に進むと、悪ガキたちは各地に散り、当然のことながら、消息も途絶えがちになった。
私は冴えない学生時代を送り、あまつさえ留年、ボロ下宿でカロリー消費を押さえるべく微動だにしないという日々、久々の彼の動静の報に、我が身を省みざるを得なかった。既に記したように、警視庁にキャリア入庁、瞬く間に警部補の星をつけて、某県警に配属、一班の長、どうなのだ。こちらはまだ学生だぞ。冷房もない暑い下宿で彼の動静を告げる地元の友人の電話の声を聞きながら、どうにも現実感無く、──さん、クラスのみんないなくて大丈夫かな、などとバカげた感想を漏らすだけだった。

それからの記憶は、色を欠き、茫漠としている。

その次のまた暑い夏、だったように思う。私たち元悪ガキどもは、盆灯籠を担ぎ、彼の家に向かった。安芸門徒は、新盆を迎えるとき、背の高い白い盆灯籠を供える。コンビニでも売っているので、初めての人はぎょっとするらしい。私たちも、そのいかにも安っぽい灯籠を、コンビニで買ったように記憶している。

山の上の──さんの家では、お父上と、弟さんが待っていてくれたような気がする。いや、弟の方は、父君の話のなかで出てきたのだったか。もう記憶さえ定かではないが、──さんの写真がちょこんと載っている仏壇に向かって手を合わせながら、この違和感をどうすればいいのか、考えあぐねていたのはよく覚えている。──さん、君はちょっと、優しすぎたのかな。よくわからんが、いまになってみれば、この仕事、ちょっと向いていなかったのかな。いや、そんなに親しいわけでもなかったし、あれこれ言う立場にはないのはわかるけど、クラスのみんなが、何をしとるんならァワレは、言うて怒っとったで。いろいろあったんだろうけど、ワシを見てくれや。このザマだ。もったいないんじゃ、なかったのかなあ。クラスのバカ連中のことを思い出したとしても、何の役にも、たたんかったか?

父上が深々とお辞儀をし、私たちは肩を寄せ、口の中でもごもごと挨拶を述べ、炙るような暑い道へ戻った。無言で坂を下りながら、ゆっくり周囲を見回すと、彼の自死の理由を新聞に報じられたような紋切り型ではなく、自分たちだけのものとしたいと思っているのがそれぞれの表情に感じられ、──さん、こんなことになってもまだ大事にされてるようだよ君は、と私は記憶のなかの優しげな彼に、そっと呼びかけたのだった。