カメラ香具師

日曜、好日、好天。

ボロカメラの実験のため、近隣を周遊してみる。例のフレクサレットである。

おそらく喫緊に処理を要すらしいもろもろを机上に置き去り、夜逃げのようにこそこそと出てゆく。カメラを持つと、何故かこそこそしてしまう。理由はわからない。撮る事はなにものかを盗む事に等しいとどこかで思っているからかもしれない。そのくせ熱中するとカメラを構えたままワケガワカラナクなる事があるのが、この機械を持つある種の人類の特徴である。
よくTVの報道番組でカメラマンたちによって被写体人物がもみくちゃになっているシーンを見るが、あれは別に使命感とか誰かの指令とかに従っての行動ではない。単に「フレームからはずれる」という彼らにとって本能的に忌諱される事態を招かないように小脳がヒートしているだけである。それが証拠に連中に後でベタ焼き見ながら様々訊いても、ほとんど不機嫌に「わからん」と言うばかりだ。報道写真は脊髄反射で撮ったようなやつに傑作が多い。これはスポーツと同様かなり身体的才能の範疇である。
この本能が少々発達すると、次はフォーカスまで本能の領域に取り込まれる。植物園等で三脚に乗せた中判カメラを薔薇なんかに向けて構えているオッサンの横顔を見ると、もうエクスタシー寸前である。ぐりぐりぐりぐり、ピント合わせが止まらない。対象を距離感で感じているのである。いやらしい。冗談です。すみません。

フレクサレットは2眼レフであるから、カメラの天辺をカパッと開き、そこの磨りガラス状のファインダーに対象が投影される。これはかなり不可思議な体験で、通常のカメラファインダーが一直線に被写体と自分とを媒介するのに対して、一旦箱のなかに閉じこめられた周囲の世界を覗き込むような感覚にとらわれるのである。デジカメの液晶画面を見るのとも全く違う感覚である。

道路工事現場のお詫びの看板のようにカメラ上辺に向き最敬礼し、ファインダーに写る多摩川を見つめていたら、画面に男の子が闖入してきた。
顔を上げると、まことに不思議そうにこちらを見つめる男の子、小学校2、3年ぐらいだろうか。手招きして、ファインダーを覗かせる。これ、望遠鏡? いや、これはねえ、特別なカメラで、この十文字見えるでしょ、ここに人間を合わせるとねえ、その人間のデータが出るんよ。データが。

悪い癖である。
じーっと私の方を見つめているので、ほら、ここのメーターがあるだろ。ここ体温計よ。などと塗り重ねる。わははは、パパはあそこ? 見てみようか。あっ、パパ野球上手でしょ、メーターに出てるねえ見えるねえ(グローブが……)。

その昔、小学校の門前で時折いかがわしい玩具を売っていたあの怪しげなオジサンになったような気分で、爽快である。感動の面持ちでカメラをおそるおそる撫でている彼に、この場のキメとして、来週会う機会があったら、もっと詳しい使用法を教えようと約束する。初めてカメラに出会った折の、不可思議なメカに対する憧れとか、質感に対するフェティッシュな愛着とかを呼び覚ます存在感が、この2眼レフという奴にはあるな。まあ本当に機会があるなら、懺悔して正体を明かし、何か撮らせてあげよう。未来のワタクシのために。