夜間飛行機

暗黒の底にぽつりぽつり直径1センチほどの穴が開いているのだが、すべて野球場である。都市部を過ぎ、山中に入ると、見渡すかぎりの闇の底に、地球の窓でもあるかの如く、ほぼ50センチ四方にひとつといった割合で、穴が開いているのだ。見た目のサイズで言ってるのだが。この世の奇観である。ただいまこの時間、互いも知らず、闇の底で、日本人はひたすら野球をしている。滑稽なのか胸打たれる風景なのか、どうにも不可思議すぎて、よくわからない。

本を読もうとしたら例によっての条件反射眠気で、はっと気づいたらスッチーがここぞとばかりに毛布を持って待ち構えている。天ぷら鍋の初期火災を防火シートで鎮火せんとする主婦の構えを想起されたい。いや、自分は寝ておりませんよ決して寝ておりませんええ読書家ですからと卑屈になると、読書灯を優しく教示される。

カチリと点けると、寝ぼけて脈絡失う一文が煌々と。「遊部──幽顕の境を隔てて凶癘の魂を鎮むるの氏なり」。あそびべ。ううむ。上古、酒食や歌舞を奉じて鎮魂呪術を行った部民だということである。不可思議な一族だ。(先のは『令集解』釈記の一文である。)
アソブ、とは呪術的な起源を持つ言葉なのだろう。ならば私もさらに強く、一生遊んで暮らしたいと願う。アホである。さらに拾うと、遊部の祖神は、イザナミが火の神カグツチを生んでみまかったとき、イザナギの涙から生まれた女神だということだ。涙の化生である一族、ひたすら遊ぶ一族、なんだかきれいだ。

女神の名はわからないが、本の解説を読んでいると、彼女を祀る社の名を、泣澤神社というらしい。なんと麗しい名か。ひっそりとした神であろう。社には本殿もなく、ただ木立の中に空井戸のみが鎮まっているらしい。飛鳥かあ。どうかして行ってみたいものだ。

左手の窓を覗くと、45度の遠方に、碁盤の目状に煌めく都市が見える。京都北方の山地を通過しているようだ。とすると、この遙か遠方に、この社は深閑と控えているわけである。もう私にとってこの闇は、一気に遊部たちに支配されたものになってしまった。