翁話

近鉄とは河内の国のチームであって、摂津のチームであるBWとは全くその出自・性格を異にしている。かつては和泉のチームである南海が両者のはざまで純粋な大阪を表象していた。翻って考えるに、阪神なるものは全国ブランドであり、関西全土に君臨している超越した存在である。

まあそれで、合併とは言いながら、要は近鉄の廃業である。東京からの視点で今回の一件を見ると、なんだかごちゃごちゃやってるけどいっぱいチームあるからいいんじゃないのという感もあるが、内実は関西野球秩序崩壊の最終章であるように思う。

所謂「江夏の21球」として語り継がれている例の有名な一件は、日本シリーズにおける広島対近鉄戦の最終戦が舞台であった。試合当日、私は高校をサボって、名門広島商業野球部において達川(元広島監督・現お笑い芸人)などを育てた名将迫田監督が経営する喫茶店で試合経過を見守っていたが、今でもあの折のことはまざまざと思い起こすことができる。

──直前まで声援・嘆息・歓声などが充ち満ちていた店内が、あの切迫した21球が投じられ始めた一瞬から寂として声無く、切迫した祈りに満ちる礼拝堂にでも化したかのような、森厳な雰囲気に包まれたのだった。我々の見ているものはもはや、野球の試合などを超えたなにものかであったと断言できる。あの数十分、呼吸をすることさえ忘れていたような気がするのだ。

そして運命の一球、石渡のスクイズを遠く外したボールが江夏の左腕から投じられた瞬間、絶叫して立ち上がった数人の客がテーブルに足をぶつけてコップをひっくり返す音が店内に反響した。その音に呪縛を解かれたように私たちは我に返り、共に声にならぬ叫びを上げ、その奇蹟そのものの事態の意味を、ようやく享受することができたのである。

しかしその勝利の狂乱の中にあって私は、敗れた敵将近鉄監督西本がベンチに座ったまま口をへの時に結び、大きく開いた膝を両手でがっちり掴んで動かないでいる姿に、なんとなく惹かれるものを感じた。というよりも、このチームの周辺に流れるからりとして単純な空気そのものに、既にシリーズ開始早々から惹かれ始めていたのである。敵ながら個性的な、野放図な役者の揃う魅力的な集団だったと思う。


と、ヒマなので、ううろしているN翁の後ろ姿を見ながら回想している。N翁は西本監督に似ているのだ。どことなく一徹そうなところとか、その風貌も含め、私の中では西本と同化している。準備でうろうろしているN翁は今日の講演の主宰者である。憂国の人である。私はカープを憂いたことはあるが、国を憂いた事がないので、まことに立場を異にするのだが、のっぴきならぬ事情とはこんな状況を指すのでしょうね。千葉の中心のビルの上、私にも何かを叫ばせていただきたい。いやもう遅い。

とにもかくにも、午後2時過ぎ、巨大なビルの7階のごく小ぶりな会場へ入ってゆくと、椅子はそこそこ埋まっているようである。N翁が前に立ち、私について事実誤認の多い、何かモノスゴイ偉人でもあるかの如き紹介を述べ、先生先生繰り返し、私は卒倒しそうになるのをようよう堪えながら講壇に立ったのだった。壇というほどのものではなかったが。

聴衆は毎回プロパガンダのような講演を聞き慣れている人々なので、一体全体どのような調子で喋れば良いのかわからないが、始まってしまえばすぐ居直ってしまうのが例によって例の如しの悪癖、ヨタを連発して、ともかくも時間をつなぐのであった。ネタはわかりやすく日本史トリビア集戦国篇・美術史篇といった風情で穏当にまとめ、憂国な人々を刺激せぬよう用語に注意を払う。小心者なのである。

息も絶え絶えで2時間弱、漸う漸う辿りついたる午後4時、言わずもがなのご質問はありませんかとN翁。質問と称するただ言いたいだけの素っ頓狂な意見表明、質問と称する起承転結不明の感想文等が出てくるのは学会発表の質問タイムと同様である。なんとか切り抜ける。コツはいきなり「イヤそれは違いますね」等、考え無しに否定するということが知れた。要は気合いである。否定してから理由を考える。これだ。

終了後、放心状態のまま、N翁の饗応を受ける。果たして翁の意に添う出来であったのかまことに心許なく、茫茫然たる私の心中を知ってか知らずか、淡々と世間話などして笑う翁の姿はやはり、あの地元藤井寺球場での敗戦後、しばらくしてさっとベンチから立ち上がり、感情の起伏を片鱗も見せずに去っていった老将西本監督の姿と重なるのであった。ああ。