もろもろ

青山ブックセンター(通称ABC)が閉鎖され、カルロス・クライバーが死んで、東京が異界に変じた熱波の7月でした。ABCの件は「はてな」にて歌会を開催しており附言することは何もないと大見得切りたいが、関西方面諸賢は何のことかお分かりになるまい。京都だったら恵文社一乗寺店から手作り臭を抜いてラウドネス入れてヴォリュームを上げてチェーン店っぽくした、という感じか。大阪だったら昔のアメ村にアセンスってありましたが、ちょっと近いでしょうか。

そう、大見得切りたいが、http://d.hatena.ne.jp/erohen/20040721で紹介されているような運動? には微妙な違和感を持つ、とだけ。版元の、それも編集者が中心となって行うべきことなのだろうか。どうも単にセンチメンタルな行動のように思える。経済原理を署名という行為が乗り越えられるものなのだろうか。復活したABCが生き残るために「普通の」書店になったとしたら署名者たちは「こんなはずではなかった」と言うのだろうか。気分的には私も彼らと同じ位置にはいるのだけれども。

本日の最新情報では、新宿2店にはブックファーストが入るようです。

で。クライバーは結局伝説になるのですね。御多分に漏れず私も信奉しておりますが。録音のみ経験の私は知人宅でその異様な指揮姿映像を見て、これは絶対楽団員は指揮を見ていないに違いないと確信しました。あれは踊りです。素晴らしい。

本日、タルコフスキーがポラロイドで撮影した写真集を入手。全てプライヴェート写真である。

Instant Light: Tarkovsky Polaroids

Instant Light: Tarkovsky Polaroids

素晴らしい。
こんなふうに写真を撮っていたかった──と思わせる。
素朴な布装上製本、静謐に淡々と並べられたポラを見つめていると、写真の「質」を決定づけるものは何なのか、という、中坊以来考え続けて、未だ暫定的な結論すら得ない素朴なるアポリアに回帰するのであった。写真の立ち上がるその場所に私は出会うべきなのか、それともそのような場所の措定など夢想に過ぎず、写真を撮る私があるのみなのかという心身問題(笑)が中坊以来の悩みだったのである。これが疑似問題に過ぎないとは薄々気付いてはいるが、かといってこの疑似問題を回避するルートがあるのか。かつて偏執長はこの疑似問題の提起に意地悪く目を光らせながら鼻で笑い、一言、「向いてないね」と言い放ったと記憶する。失礼な話だ。