小林勇『蝸牛庵訪問記』(講談社文芸文庫)を読む。岩波書店の名編集者の、幸田露伴との密接な交流の記録である。

今では信じられないほどのことだが、出版社が新卒の大卒社員を採用し始めたのは、ようやく昭和2年になってからであった(円本で儲けた改造社が採用した)。それまでは有り体に言って、丁稚奉公である。小林氏もそのキャリアを、住み込みの小僧として始めた。岩波が名の通り書店を持っていた時代である。
ちょっと話がそれるが、これがそんな遠い時代の話ではない証拠に、あの大講談社でも野間家に住み込んで夜学に通わされた最後の丁稚出身の常務だか専務だかが引退したのが、ついこの間のことだ。他の業界の代表的企業で、こんなこと考えられるでしょうか。ことほど左様にこの業界は封建的な匂いを残しているのである。人と人とのつながりが、濃厚かつ前近代的な世界なのである。端的に言って、全てが古めかしいのである。だからまあ、面白いのだが。

さて蝸牛庵先生のことだが、小林氏と一緒に旅して酒ばかり飲んでゐる。いや、飲んでいる。バリバリの糖尿だ。釣りをしながら本数冊分の釣り講義を行い、釣果はゼロ。露伴翁が怒れば怒るほど、小林氏はにやにやし始める。名コンビなのである。いつも細君の文句ばかり言っているくせに、いつのまにか家一軒取りあげられてしまう。日独防共協定で世間が盛り上がるさなかに、「ヒトラーは狂人面だ、あの目を見ろ」と、あたり構わず大声を上げる。存在そのものがユーモラスで、悲しく、真っ当で、なつかしい。

小林氏の淡々とした叙述の下層には、露伴に対する強靱な愛情と、露伴に愛されたという自負が、常に静かに流れている。そうなのだ。これは清々しい、希有な愛の記録なのであった。

蝸牛庵訪問記 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

蝸牛庵訪問記 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)