伊兵衛翁リスペクト

木村伊兵衛『小型カメラ写真術』(朝日ソノラマ刊)を読む。昭和初年に刊行されたものの復刊だが、一読、驚くほど明晰な文章に引き込まれる。この人はごくあっさりしたスナップの名手であり、その手法に理論的バックグラウンドを与えるなどという行為はその軽やかな作品群になじまないと思っていたが、不明を恥じる。

要するにライカというカメラの存在が、大判の据付写真機を前提とした写真表現の理論に代わるものを要請したのである。スナップ写真というものが画面の印象ほど容易なものでないことを理論付けない限り、「スナップ写真家」の存立はあり得なかったのであって、その意味で撮影行為における大転回が本書によって成し遂げられたと言っていいのではないか。

掲載写真にはデータが付記されているが、大体レンズの絞りは開放している傾向が強く、この人の甘めの画面がレンズ自体のボケ味に依存している様が窺える。ライカの味である。私などはレンズの描写力を絞り出すような土門拳系の教えが体に染みついているので、開放して撮ったことなど(暗くて仕方がない場合を除けば)ほとんど無い。極限まで絞り込み、被写界深度を広くとり、パンフォーカスの画面を無意識に目指してしまうのである。偏執的である。ピンボケ恐怖症と言ったらわかりやすいだろうか。

この人は女を撮らせたらどうも、農婦でさえ艶っぽい。「イキだねえ」が口癖の、純然たる江戸っ子である。まなじりを決してカメラを構えて、ぎりぎりとレンズを絞り込むような無粋な田舎者──反語としての土門拳──のような真似は、できなかったであろう。そのような写真も決して否定することなく尊重しつつ、自らのスタイルとしてはライカによるスナップショットを選び取ったに違いない。

ところで私が最近HOLGAというバカカメラを愛用しているのは、自分の偏執性に対する一種の内的異議申し立てである。ピンボケしか撮れないこのカメラで自分の視線を漂白し、異化してみるというゲームを行っているようなものだ。才能があればそれ自体作品に直結するだろうが、残念ながらゲームに過ぎない。

そして町中でこんなカメラを実験的に、かつゲームとして構えてみると、木村伊兵衛の視線が、凄まじいまでの自信に満ちたものであったことが理解される。彼自身の持つ対象を選び取る強い視線の力を活かすには、ライカという視線と同化した器械を使わざるを得なかったのである。写真史的検証は抜きにして、木村伊兵衛がライカを創造した、と、限られた空間と時間の内部においては断言していいだろう。

写真の表現に映画が強く影響を与えているとか、いろいろ面白いことが書いてある。わかっちゃいるが新鮮だ。若者よ、ジジイに学べ。