狸と塾生

戸切絵図を見ていて、妙なものを見つける。広尾原、現在の白金の奧の広尾一帯だが、その隅に、ぽつねんと「狸蕎麦」と記されているのだ。

江戸のことは詳しくないが、この辺は主に寺社地で、辺りには広い屋敷や寺ばかりだ。名物か何かだったのだろうか。しかし切絵図全体でも、店の名前がわざわざ表記してあるのは、特にこの手合いの飲食店などは、あまり、というか全く見たことがない。それに原っぱの隅である。周囲には何もなさそうだ。店であったかどうかも疑わしい。

道楽ここに極めりというwinアプリ、『江戸東京重ね地図』を起動して検索する。現在の東京の下に安政三年の切絵図を重ね、操作するとシームレスに背景からフェイド・イン、フェイド・アウトするという、何の役にも立たないすばらしく良い出来のものである。

で、江戸から浮上してみると、狸蕎麦は、慶応幼稚舎の校舎に変わっていた。何とも言いようがないが、しばらく狸蕎麦問題は尾を曳きそうである。