古本に諭されるの記

成城で清談を終え、寄る辺なき中途半端な時間、脳内も半ば中途半端な思いのまま、久方ぶりのこの街を歩いて、ハタと思い出すキヌタ文庫。整然と御立派な邸宅が並ぶ町中に、ぽかりと浮かぶ古書店なのである。10年ほど前までは国分寺崖線の急峻な坂をアホみたいに自転車登攀などして通ったものだが、もはや地縁も切れ、思い出したこと自体が我ながらエライかも、と手柄気分で旧柳田國男邸前を過ぎて右に曲がれば全く表情ひとつ変えず古本屋ですが何か、と言わんばかりに10年前と微動だにせぬ店構え。

店番の眠そうな少女にはさすがに憶えはないが、ちょっと気取った棚の風情もかかる年月を感じさせぬ相変わらず感横溢で、嬉しくも落ち着いた気分になって愉しき哉。である。店頭の100円均一棚に改造社版の所謂円本全集がかなり突っ込んである。活字切り取りスキャン用に買う。

店内をしばし逍遙、ふと棚の隅に市村弘正氏の『増補 「名づけ」の精神史』(平凡社ライブラリー)を発見し、なんだか確実に読んだような気もするが、値を見ると440円とある。まあいいか。と思い、相変わらず眠そうな少女に本を差し出して購う。
少女は通信教育のテキストを膝に広げていた。

駅に向かおうとするが、もうこうなったら件の国分寺崖線まで長駆遠征してやろうとヤクザな気分が横溢する(だいたい後悔するが)。しかして駅方向からぐるりと反転、午後の気怠い住宅街を西方に向かう。

成城台地を横切り、諫山医院の角を曲がり──余談だがここのあるじは大岡昇平の主治医であり、たしか全集の月報にも寄稿していた──しばらくとぼとぼ歩くと、なんだかバカバカしくなり、バスに乗っちまうか、と、予告通り後悔頻りに萎え方向、バス停まで歩くとベンチにどかっと座す。

やれやれ、と機械的に先程の本を開くといきなり「『失敗』の意味」という章、イヤミかっ、と本をばさりと閉じたらば、小さな短冊が本の間から飛び出してベンチの下に落ちた。イヤ本に何ら落度はありませんわな、とカバーのズレを直し、落ちた短冊をひょいとつまみ上げて見ると、極細のペンによる几帳面な文字で、「謹呈 ○○様 御配慮に改めて感謝いたします. 市村弘正」としたためてあるのであった。

「名づけ」の精神史 増補 (平凡社ライブラリー)

「名づけ」の精神史 増補 (平凡社ライブラリー)